かいふう

近未来への展望や、如何に。

聖書

業界、と界隈

主日

イエス 業界、と界隈 『Gone with the window』 細菌、もとへ。最近、「21世紀のスフィンクスは4本足でなければならぬ。」風潮が某業界で流行ってる、らしい。そのルフの本人と疑わしいは、法定闘争に準備した。 マスメディアを介して、日本人の弁護団が…

主日

イエス [ヨハネの黙示録] 私が、某教会で或る儀式を経たは、[聖書]に記載の最終章。 [ヨハネの黙示録]。その中の、4頭の馬の意味が、どうしても解けなかったが故である。「わたしの軛は負いやすく、その荷は軽い。」 ありがたい事に、その教会は、それに該…

主日

『殉教』に至らない布教、のあり様、って何。 約半世紀前。モラトリアムという言葉が、流行りました。時を同じくして。『タテマエ』と「本音」、という対も、某教授の著作で載ってた。その教授の専門が、宗教哲学だったので。当時、過激な左と、諌死について…

主日

致命的ではないが、決定的である。 よって、改訂します。 [ぼくのちいさなれくいえむ♪]を、細々と来た訳ですけれど。 今ひとつ、しっくり来ない。何故か。反芻してみた。モー、たくさん。 どうやら、その解釈に。その範囲に相違がある。 『話が違うじゃない…

主日

「真理はなんじを自由にする。」 お気に入り、というより。時々、おもう。昔々、奈良の古都は明日香駅に降り立った。ひとり旅である。駅前の観光案内所から。チャリンコを借りて、村内とその周辺をゆったり走る、田園の中。細い舗装道路を行くと。見えたは、…

あるある説得

さて。然らば、そのカトリックの司祭とおぼしき正装せる彼は、何故挨拶の一言で、立ち去ったのであろうか。「こんにちわ。」は、私が過年、東日本大震災後の被災地のひとつ。石巻市北部隣接、被災後新築の南三陸町総合体育館の中で、女子職員から挨拶の言葉…

あるある説得

ローマンカトリックが世界中から参集。その大勢の群衆に、ローマ法王が祝福を与える。その声が、聴衆皆にあまねく届くよう。マイクロホンは、発明された。 今では、カトリックか否か。異教徒でも。無神論者までも、代価を払えば、手にすることができる。 こ…

あるある説得

それは、こういう話が、判りやすい。二人の者が、ヱマオの途上で、前方に家屋を見つけた。彼らは、共に、[共同訳]を携えていた。片方の者が、前方に近着いてくるその家屋を指して。「KOBAN」と言った。もうひとりの者は、「交番」と返した。 エルサレムは何…

あるある説得

主の、彼らの威光を誇示するは、何故か。 彼は突如、面前に出現した。 私は、今まで、正装せる彼の生身を、肉眼で直視は無かったので。驚いた。 彼は「こんにちは。」と挨拶し、私は無言で、すれ違った。その間、わずか数秒。 彼は、私の襟の小さなブルーリ…

枝分かれとしての、キリスト教会教会史。コンスタンチノープル、その響きよ。

【モスクワ共同】キリスト教東方正教会の最高権威とされるコンスタンチノープル総主教庁(トルコ・イスタンブール)の総主教バルソロメオス1世は5日、ロシア正教会の管轄下にあったウクライナ正教会を独立させることを最終的に決定、文書に署名した。タス通…

「キミコ、危うきに近寄らず。」で行こう。出エジプト記:第十六章 第九節、 第二十二節〜第三十節。 

『ああ、君。』『殉教とは、きみが先に死ぬことなんだよ。』 『でも、神はそんなことは欲しない。誰が死んでも、悲しいからさ。』 『それで、何も言わない。』 『そもそも、殉教しようなどと、誰も思わないからさ。』『だから、死が来るまで。生きればいいに…

「社福法人 ヱマオ学園」をウィキペディアに載せるべきか。

ルカによる福音書 第二十四章13〜15節 「この日、ふたりの弟子が、エルサレムから七マイルばかり離れたエマオという村へ行きながら、このいっさいの出来事について互に語り合っていた。語り合い論じ合っていると、イエスご自身が近ついてきて、彼らと一…

ポスター三昧、もとへ。ポスター三枚。少なくとも、そのひとつは、係わっている。

半世紀前、宛ても無く。自宅から、下宿まで衣類を持って帰る途中。映画ポスターを見つけた。「死ぬにはまだ早い」。一瞥して、その場に釘付けになった。ある期間、幾度も往復した路すがら。何故、今回は、見てしまったのか。見つける事が出来たのか。邦画だ…

番外編。天使と、【堕天使】の見分け方。

ある日、ボクは空を見上げていた。それはどこまでも澄みきった、青い青い果てしもない。しばし時を忘れ、止めた主が、ボクしか居ない。親は選べないとよく云うが。自然の中にひとり休んでいるボクは、紛れもなく、息をして生きている。それは、ある時は、北…

第一次世界大戦終結100年記念行事がパリにて開催。俯瞰する歴史

歴史ほど、知るに容易い学は無い。平和で、自由があれば。昨日までの事。他人様の生死の過程。ピンポイントで、天空から、限定、限定、そして限定。落下、絞っていけば。隣の大陸で、手つかずの残飯が廃棄されてれば。絶海の孤島で召集兵がひとり、誰にも知…

単方向でも思索。「共同訳聖書」の所有の有無。

信者の方々。「共同訳聖書」を購入された方。どのような理由で、そうされたのだろうか。 ここは、当然。私のそれを披瀝させてください。イメージは、カトリックと、プロテスタント教会諸派の、両者の握手である。そのシーンは、そのニュースが全世界を駆け巡…

預言もすたれる。コリント人への第一の手紙:第十三章 第八節。

極部分で、言う。ある家に、そのひと部屋に、少年が入居した。その家には、「はたち」を越えた大人の若い女と、その母親が、その家の主人であった。ある日、曇りガラス戸越しに、大人の若い女の声が聞こえた。「○○さんがいるわ。」など。未信者の少年には、…

二度と、甘い顔は見せない。コリント人への第一の手紙:第十四章 第一節〜第四十節。

さもないと。【9.11】や、【3.11】の意味を水の泡にしてしまう。それに帰してしまう。 コリント人への第一の手紙:第十四章 第一節〜第四十節。 パウロが居なければ、キリスト教がそれ足り得ない、が迫ってくる。預言と、異言の相違。それをかくも、は…

ヨハネによる福音書:第八章 第三十一節〜第三十二節。&マタイによる福音書:第十八章 第一節〜第十四節。

1.「真理は汝を自由にする。」 この聖句だけでも。理解し、読解するは、大変なことです。真理とは、何ぞや。自由とは、何ぞや。 大変なこと、は「Oh my God!」ですから。本人が、神様に直接向き合って、対話しながら、ああでもない、こうでもない。そうや…

今時、『金約政書』は通用するのだろうか。

最近の国際情勢の内、「米朝会談」は初で、故に。ショーマンシップのあるビジネスライクな大統領は、全世界に、映像を通して、【核戦争】の脅威を緩和し、楽観的情況を保持して視せた。異存はない。彼の視界に、その国の中間選挙なるものが、控えていても。…

それが、クリスチャンの『後出しジャンケン』であっても。

或る者の言葉「死ぬ理由に勝る、生きる理由がないんです。どう考えても浮かばない。何かありますか。あるなら教えてください」。 クリスチャンに、【自死】はご法度です。しかし、上記の『遺言』を『決めゼリフ』で、若者が性急に他界するなら。 『後出しジ…

圏外編。その5 [拉致事件]【被害者】に問われない事

先日、あるニュースが流れた。それが、日本テレビ系列(NNN)であろうとなかろうと。ローマンカトリックの大本山、バチカン市国。そこでの、枢機卿の選出で、その新しいひとりに、日本人が選ばれたとなれば。関心は持つだろう。どう受け取るか、は別として。…

圏外編。その4-2 『カトリック内紛』を、視えたか。関心の理由

前日が、修道女ルシアの『罪』の場合、でした。よって、本日は、見解が違う。ここからの推測ですが。 聖母マリア出現の折、三人の少年少女のうち。その一人であるルシアがですよ。マリアの託宣により。期限を1960年と、バチカン市国へ伝言上申した。にも…

圏外編。その4-1 『カトリック内紛』を、視えたか。関心の理由 

「ファティマ第三の秘密」、をWikiで引く。ルシア・ドス・サントスを、更に引く。 最初に、聖母マリア出現の折、三人の少年少女のうち、二人の病没も予言の内。当時、ヨーロッパで猛威を振るった【スペイン風邪】のインフルエンザ。そして、ルシアだけが、修…

マタイによる福音書:第五章 第九節。山上の垂訓。

「平和をつくり出す人たちは、さいわいである。彼らは神の子と呼ばれるであろう。」 中曾根康弘氏の現役での発言に、遠心力、宗教心、そして『不沈空母』があった。遠心力というは、政治家は内政と外交。その外交面を指し。宗教心とは、政教分離。信教の自由…

イスラエルのアメリカ大使館、エルサレムに移転。その2

【エルサレム時事】米国は14日、イスラエルの建国70年に合わせて商都テルアビブから、イスラエルの「首都」と認定したエルサレムに大使館を移転した。恒久的な大使館建設には時間がかかるため、今回は「象徴的な移転」とされる。しかし、東エルサレムを…

イスラエルのアメリカ大使館、エルサレムに移転。その1

このニュースは、全世界のキリスト教徒にとっては、政治的外交的だとしても。革新的だと、思う。それは、先日述べた、有神論実存の中身が、イスラム教とユダヤ教、そしてキリスト教に限っても。もはや20世紀ではない。更に、新世紀に突入したんだ。 その事…

マタイによる福音書:第十九章 第二十五節〜第二十六節。マルコによる福音書:第十章 第二十六節〜第二十七節。

年代としては[マルコ伝]が先にできた、が定説らしい。これを記す[聖書]が1987年版で、[新約]1954年改訳、目次配列が[マタイ伝]が前なので。 ここに極まれり。 後は、各自の、ですから。どうしますか。

「主の祈り」。素直さを取り戻したいが為の、負債を返す。

その機会を与えてくれて居る、のかも。 後年、隣室のウクレレの方と同じ学校へ進学し、その方と同じ名字の教師から、その方の専攻外国語を授業された時は、驚いた。その語学を親しく思ったは、勉学意欲にプラスでした。 教会に通っていようと。そうでなくて…