かいふう

近未来への展望や、如何に。

【水俣病】、公式確認から50年。地方自治体の施策.その6

kaihuuinternet2006-05-01

水俣病の認定申請者でつくる「水俣病被害者互助会」(事務局・熊本県水俣市)の佐藤英樹会長(51)は30日、国、熊本県、原因企業・チッソを相手取り、今秋にも損害賠償請求訴訟を起こす方針を明らかにした。

原告は当面、会員約120人のうち20〜30人になる見通し。

佐藤会長らによると、5月下旬に開く総会で会員に諮り準備を進める。提訴は東京、熊本地裁のいずれかにする。(読売新聞)

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「公害の原点」と言われる水俣病が公式に確認されてから5月1日で50年。30日夕には熊本県水俣市内で水俣病の犠牲者を慰霊する記念碑の落成式が行われた。

水俣病は、チッソ(本社・東京)の水俣工場が水俣湾に流した排水に含まれていたメチル水銀が原因で発生した公害病。重い神経症状を発症した幼い姉妹が相次いで入院したチッソ付属病院の院長が1956年5月1日に保健所に届け出たのが水俣病公式確認の日とされる。

慰霊碑は、水俣病公式確認50年を記念する事業の一環として、メチル水銀で汚染された海を埋め立てた水俣湾に面した緑地に建てられた。

落成式には、水俣病の患者や遺族ら約500人が参列。ろうそくがともされ、鼓や笛の音が奏でられた幻想的な雰囲気のなか、水俣病で亡くなった314人分の名簿が納められた。

式典では、宮本勝彬・水俣市長が「慰霊碑には未曽有の公害を決して風化させてはいけないという強い思いが込められている」とあいさつ。患者団体「水俣病平和会」の井島政治会長は「水俣病患者は伝染病の誤解を受けて忌み嫌われ、もがき苦しみながら死んでいった。慰霊碑の前で犠牲者のみたまに手を合わせ、二度と同じ過ちを繰り返さないことを誓う」と祈りの言葉をささげた。(読売新聞)
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石牟礼道子著「苦界浄土」がある。ハードカバーのその装丁はしっかり本文を保護、長年の風雪に耐えうる堅牢さだ。地味な仕事、労作。だが、数十年後にも残る。読者も苦しむだろう、それを敢えて書き、問う作家の、その品格と志の高さに、距離をおもう。
4月末、彼女も講演する日比谷公会堂での、50年の集会、行きそびれた。
現在、2200人の政府認定、1500人の死亡。3800人が申請中、とのこと。未だ終わってないのだ。