かいふう

近未来への展望や、如何に。

{改憲}、 それとも {護憲}

kaihuuinternet2006-05-03

自分は、{改憲}を支持する。60年の歴史、とは何だ。その年月とは何を意味する。何を無理して、それ付けすることもないが。髪の白さと跡地、顔の皺とシミ、短気と頑固、健忘症とうつ、もう数えない。そして[冠婚葬祭]と涙。
幾つかあった万博、どれひとつ行ってなくとも、キャッチフレーズはその数あったよな。
人類は、そう、進歩、前進して来たんだ。そう信じられずに、何が、明日まで眠れるか。羊を数えるにしろ、出来ずに不眠を抱えるにしろ。
{改憲}派に所属するには、意見を求められれば、発言しなくては、とおもってしまう。勉強しないと、反論された際、困った自分を聴衆間に晒す羽目になる。
しかし、ここなら、まあ、しばらくは安心だ、としよう。憲法は、およそ独立国のそれだから、外国は関係無い、としたら、国際常識から外れるだろうな。といって、その間、アポロが月面到着した、ガリレオジャンヌダルクに法王が謝った、東京ディズニーランドが出来た、青函トンネルが出来た。それら歴史的な事項が、この国の憲法にどう係わったか、疑問だとしても。
国益にかなう。だから、{改憲}する。これがわかりやすいかも知れない。これは、確かに、他国を、すなわち外国を意識している。当たり前だろう。
はじめに断った。短気だと。そう。[拉致被害者]を奪還するには、{改憲}するしかないのだ。彼らを救出するには、{改憲}する方がよいのだ。頑固だとも。間違ってはない、とおもう。国民あっての憲法だから。
現「憲法」の正体がわかってるくせに、後生大事にそれを続けることはないではないか。個人の挙げる作家が書いた<世界10大小説>でもあるまいに。
国民のものだ。国民のためのものだ。わかってるなら、何故に、異国に幽閉されてある、何十年も真の自由を奪われてある同朋を、今すぐにでも取り戻せない。戦後60年、それに比例する自由が、[拉致被害者]に見出せなくなっている現状を、憂える。国家の確固たるイメージを、それを想像することを、止めてしまっているんではないだろうか。平和ボケで。それを高い税金で代議士に任せっぱなしにして、事足れりと勘違いしてるのと、違うか。
国民が、拉致された国民を帰せ、と大合唱しなくては。{改憲}は、ちょうどいいめぐり合わせだ。法治国家の屋台骨は、改築されてこそ、《無法国家》に対抗できる。平和を愛する諸外国にまさかの際の面目も大義も通用する、というものだろう。