かいふう

近未来への展望や、如何に。

{村上店主堂}の崩落

ニッポン放送株のインサイダー取引事件を巡り、証券取引法違反容疑で逮捕された村上世彰容疑者(46)が代表を務める「村上ファンド」が、株の保有状況の開示期限を先延ばしできる方法で、同放送株を売却していたことが分かった。

投資顧問業者などの大量保有報告書の提出期限が一般投資家よりも遅いことを利用していたほか、売買量を報告の必要とされる一歩手前にとどめ、表に出ないようにもしていた。

開示制度の甘さを巧みについた形で、制度の不備も改めて浮き彫りになった。

証券取引等監視委員会の調べなどによると、村上ファンドの中核会社「MACアセットマネジメント」は、ライブドアグループによる大量取得で株価が跳ね上がった2005年2月8日に数百万株のニッポン放送株を売るなど、同日以降の数日間で約500万株を売却して100億円以上の売却益を上げた。

ところが、MAC社が関東財務局に提出したニッポン放送株の大量保有報告書でこの大量売却が判明したのは同年3月15日。売り抜けの真相が公になるまで1か月余りかかった。

通常、株の保有数に発行済み株式の1%以上の増減があった場合、取引から土日祝日を除いて5日以内に大量保有報告書を提出しなければならない。しかし、証券取引法は、株売買をひんぱんに行う証券会社や当時のMAC社のような投資顧問業者については、報告の事務負担を減らすため、保有比率が10%以下であれば提出を翌月15日などに延ばせる特例を設けている。

MAC社はニッポン放送株の発行済み株式の18・57%を保有していたが、2月8日の一日で保有比率をいったん10%以下に一気に落とし、さらに売却を続けることで、5日以内の開示を免れていたと見られる。

また、MAC社の大量保有報告書では、同年1月5日の約80万株を最後にニッポン放送株の購入の記録はない。しかし、監視委によると、実際にはその後、同月26日までにさらに約30万株を買い進めていた。報告が必要となる発行済み株式の1%は32万8000株。MAC社は、追加報告が要らないギリギリの水準で同株を買ったことになる。

こうした手法について、ある証券関係者は、「ファンドなどの大量保有報告書の提出期限を遅くしている現行ルールは、株取引の実態を見えにくくするのに使われている側面があり、問題がある」と指摘する。

現在、国会では同法を抜本的に改正する金融商品取引法案が審議されており、同法案には、投資顧問業者などの大量保有報告書の届け出期間を短縮する内容も盛り込まれている。(2006年6月6日読売新聞)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
取調べが一段落したら、広島「原爆ドーム」、
そして長崎「浦上天主堂」、巡礼にでも行かれたら如何ですか。
九州のカトリック信者の方々、利用を、御容赦ください。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ニッポン放送株を巡る「村上ファンド」のインサイダー取引事件に絡み、同ファンド元代表村上世彰(よしあき)容疑者(46)が2005年1月、ライブドア側に同放送株の買い占め手法として「時間外取引」を使うよう指南し、購入先のほとんどを紹介していたことが分かった。

さらに、村上容疑者は、同ファンドの保有株の一部をライブドアに売却し、残りは株価が高騰した後で売り抜けていた。世間を驚かせたライブドア時間外取引によるニッポン放送株買い占めは、村上容疑者の筋書きだったことが明らかになった形だ。

東京地検特捜部などの調べによると、ライブドアは04年12月下旬から05年1月初めにかけて、同放送株の買い占め資金を調達するため、リーマン・ブラザーズ証券を引受先として、将来、株に換えることができる社債を発行し、同放送の時価総額の半分に当たる約800億円の資金を作る計画を進めていた。

村上容疑者は05年1月初めに、この計画をライブドア側から知らされると、ライブドア側に対し、同放送株の買い占めに当たっては、市場の通常の取引時間外で行う「時間外取引」という手法を使うよう指導した。当時、「時間外取引」で発行済み株式の3分の1超を買い集める場合は、株式公開買い付け(TOB)は義務づけられていなかった。

さらに、村上容疑者はライブドア側に、時間外取引で同放送株の売却に応じる株主も紹介していた。(2006年6月7日読売新聞)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
城代家老未家内は、城主衛門と連れ立っての茶席、役人下りの難波商人霧羅上の『二本の株は丑三つ刻に引き抜く』という謎の言に、脇差の小刀{村雨丸鈷継}の鍔が動いたのを感じた、のをおもい出した。浦賀の黒船に商談に出向いたのは、その結果をこの商人に伝えるためだったのか、霧羅上に{不安度}が増したのである。
大岡越前守のお白砂に、よもや相並んでお裁きとはならんだろう、とおもいつつも怒りおさまらず、去る時何故せめて小刀柄に手を添えて、商人の真意を質さなかったか、省みるのみであった」(平成六本木瓦版・号外二)