かいふう

近未来への展望や、如何に。

TVの面目躍如.その12

kaihuuinternet2006-08-06

NHK1チャンネル「NHKアーカイブス・平和アーカイブス」、午後11時10分より、を観た。
NHK特集「爆撃機ローンサム・レディ号 〜広島原爆秘話〜」(49分)1978年(昭和53年)10月29日放送

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昭和20年7月、爆撃機ローンサム・レディ号は広島県・呉の軍港を攻撃するために出撃しました。しかし、ローンサム・レディ号は撃墜され、乗組員は捕虜となりました。そして、乗組員のうち数名が広島に送られ、8月6日の原爆にあって死亡しました。
番組では当時、新たに公開された日本の外交文書をもとにローンサム・レディ号の乗組員と乗組員の遺族をアメリカに訪ねました。(NHK)
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この放送当時、某県で勤労していたので、見逃したのだ。
機長以下、20歳前後で、沖縄から飛来。原爆投下のB−29と違い、機種性能からして往復も決して楽とはいえない。停泊中の敵軍艦から他からの対空砲火で被弾しては、確率は不運。機長は、それが為の尋問で広島から隔離され、生き延びた。
病気の同僚の交代のニール(20)、誰の遺品が定かでない蓋付き磁石を、彼の母が、訪米した番組のインタビュアーから受け取った。J・ライアン(18)も若い。同じJでも、今日から、こちらの彼を記憶しよう。
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■ドキュメンタリー「坂道の家」(30分)
1973年(昭和48年)8月17日放送

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長崎でしんきゅう師を営む萩 元生(はぎ げんしょう)さんは原爆で失明しました。萩さんは仕事のかたわら、被爆者健康手帳を申請する人たちの手助けも行っていました。そのうわさを聞きつけて、萩さんのもとを手帳申請のために訪れる人はあとを絶ちません。
番組は戦争から28年たった後に被爆者健康手帳を入手することの難しさと、被爆者の方たちの苦悩を描きます。(NHK)
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僧侶の方が被爆数日後に失明した。我が子も死産で複数失う。
点字を綴りながら聞き取りで、申請のそれをする。命懸けの生き様。その迫力に圧倒される。
忘れちまった戦後。甦らせた彼ら。
あとは、受け止める側の気構え、だからね。
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はなはだ不謹慎とはおもうが、今日が何の日か承知してるので、述べよう。あの日、何月か忘れたのだが、多くの人々が原爆ドーム、平和記念資料館などの周辺を並んで歩いていたので、修学旅行の生徒たちもいたから、やはり夏だったのだろう。中には、これは長崎でも見掛けたが、広島の場合岩国基地からの米兵とおぼしき彼らも見た。そういう時、すれ違う時、脳裏に浮かんだのが、自分の罪を隠すつもりで、自分も被爆者のひとりである、という意識であれば、彼らは、自分を気に止めて責めはせぬ、とおもったことだ。つまり、歴史的な惨劇の現場、誰しも頭の中は思考が破裂するほど考えているので、そんな状況の最中では、すれ違う人の罪まで見透かすゆとり等持ち合わせない、そのことだ。
その時おもった。自分の罪は、被爆者彼らの究極の悲惨に、隠されている、と。罪びとを生かすために、それをしてる。何か守られている、と感じた。こんな自分でも、生きてていいよ、って。そういう気力を貰って来たんだ、とおもう。
今度は、自分は広島、長崎行って来たんだ。それが、支えているようでもある。その場所のみではないのだが、そのひとつふたつなのだろうけど。