山口県周南市の徳山工業高等専門学校で土木建築工学科5年中谷歩(あゆみ)さん(20)(山口県防府市伊佐江)が殺害された事件で、県警の捜査本部は7日、殺人容疑で指名手配していた同級生で、同じ研究室に所属する周南市新清光台、藤村元紀(もとき)容疑者(19)の遺体を、同市に隣接する同県下松(くだまつ)市の山中で発見した。
遺体は死後10日ほど経過。一部が白骨化するなどし、そばの木にロープがかかっていたことから、逃走直後に首つり自殺したとみている。県警は容疑者死亡のまま書類送検する方針。遺書は見つかっておらず、動機などの真相解明は困難になった。
調べによると、遺体が見つかったのは、山陽自動車道下松サービスエリアから西約2キロの自動車道北側の山中。徳山高専からは東へ約4・5キロ離れている。午前10時ごろ、逃走に使った青色のバイクが山道にとめられているのを捜査員が発見。正午ごろ、数十メートル離れた斜面で遺体を見つけた。
そばには、藤村容疑者が事件当日に持っていたリュックサックがあり、本人の免許証が入っていた。服装も事件当日と同じで、指紋などから藤村容疑者と断定した。
捜査本部によると、家族らに、自殺をほのめかす電話やメールの連絡はなかったという。
事件は8月28日発生。夏休み中に登校していた中谷さんは鍵のかかった研究室で、首に荷造り用のひもを数回巻き付けられた状態で死亡していた。捜査本部はひもに残っていた汗や皮膚片などをDNA鑑定し、藤村容疑者の犯行と断定。29日に逮捕状を取り、指名手配していた。
◆おことわり◆ 読売新聞社はこれまで、容疑者が未成年のため、匿名で報道してきましたが、容疑者が死亡し、少年の更生を図る見地で氏名などの記事掲載を禁じている少年法の規定の対象外となったと判断したことに加え、事件の凶悪さや19歳という年齢などを考慮し、実名で報道します。(2006年9月7日読売新聞)
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愛する娘を殺された理由は、永遠にわからなくなった――。山口県周南市の徳山工業高等専門学校で起きた女子学生殺害事件。
殺人容疑で指名手配されていた同級生の藤村元紀(もとき)容疑者(19)は7日、遺体で見つかった。「最悪の結果」。遺族はやり場のない怒りに震えた。
午後4時過ぎ。殺害された土木建築工学科5年中谷歩(あゆみ)さん(20)の父純一さん(48)、母加代子さん(45)が同県防府市の自宅前に姿を見せた。
「生きて捕まり、本当のことを話してほしいと思っていた。残念で仕方ありません」。両手を固く握り、まっすぐ前を向いた純一さんが口を開いた。
この11日間、加代子さんは警察からの(逮捕したとの)電話を待ち続けた。「娘がいなくなったことと、犯人への気持ちが交互に頭をよぎり、今日が何日かもわからなかった」と目に涙を浮かべた。中谷さんの遺骨は、自宅の座敷に置かれている。純一さんは「何もしてあげられなくてごめん」と語りかけたという。
一方、徳山高専では、午後6時半から天野徹校長(54)が会見。「学校を預かる者として責任を痛感している」と深々と頭を下げた。藤村容疑者について「口数は多くないが、ひょうきんな学生だと感じていた。就職が決まって喜んでいたようだ」と話した。(2006年9月7日読売新聞)
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1931年処女作『アデン・アラビ』を (« J’avais vingt ans. Je ne laisserai personne dire que c’est le plus bel âge de la vie 私は20歳だった。これが人生の最良の時だとは誰にも言わせない») ポール・ニザン
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その歳の彼女が、ゆったりとした夏休みの終わり近く、校内で友だちと談笑し、研究室に座る。
先刻から、室内間仕切りのひと部屋に居た少年は、もうひと部屋で思考する彼女を垣間見る。圧倒する若さと美貌の存在、時間よ止まれ。一瞬それを占有したいと咄嗟におもったとしても、何ら不思議はない。だが、声を掛けようにも、隙がない。会話したくても、拒否されるだろう。
実際声掛けたかも知れぬ。返事されなかったか、応答がなかった。
こんな機会、幸運は学生生活で、もはや現れないだろう。5分、いやわずか数分でいい、顔を会わせて話たい。でも取り合ってくれないだろう。
少年が、彼女が九州の地で進学が決まっていたのを、知っていたか、知らない。しかし、卒業を控え、遠くに行くのは承知してた。
去るものは去るのだ。失いたくなくても、留まることはかなわぬのだ。それを重々承知していながら。
少年は、恐らく、恋することと、愛することと、その違いと、それもかなわぬならば思慕することと。それを選ばずに、取ってはならぬものを取ってしまった。
そこに、近づけない触れられない二十歳が在るのなら、何故自分もその歳まで生きよう、とおもわなかったか。
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自分は、【無理心中】は嫌いだ。それはエゴだから。
しかも少年の分際で、なお嫌いだ。大嫌いだ。
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藤村容疑者の両親は7日夜、徳山高専の天野徹校長(54)を通じて心境をつづったメールを公表した。
「自ら姿を現すよう切望しておりました」とし、「ずっと何故(なぜ)? どうして? と問いかけてきました。答えは一生、息子の口から聞くことができず、亡くなられたお嬢様とご遺族の皆様に申し訳ない気持ちでいっぱいです」と謝罪している。(2006年9月8日読売新聞)
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山口県周南市の徳山工業高等専門学校で土木建築工学科5年中谷歩(あゆみ)さん(20)が殺害された事件で、中谷さんが事件当日の8月28日朝、同じ研究室の同級生で7日に遺体で見つかった同市新清光台、藤村元紀(もとき)容疑者(19)から呼び出されていると、友人に話していたことがわかった。
県警の捜査本部は藤村容疑者が計画的に、鍵がかけられる研究室に呼び出した可能性が高いとみて、藤村容疑者の遺体そばにあったリュックサックから見つかった藤村容疑者の携帯電話を解析し、中谷さんと連絡を取った形跡がないか調べている。
中谷さんは事件当日の午前10時ごろ、同級生の女子学生(19)と登校。その直後、犯行現場の研究室とは別棟にある談話室で、女子学生らと談笑していた。この前後に、中谷さんは知人に「藤村君に呼び出されている」と話していたという。
一方、藤村容疑者は午前10時前後、研究室に1人でいるのを学校関係者に目撃されていた。
犯行に使われた荷造り用のひもは、藤村容疑者が学校に持ち込んだ可能性が高いことも判明している。(2006年9月8日読売新聞)
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「人生は不可解なり。」藤村 操
明治という時代。ひとりの学生が華厳の滝に身を投じた。{富国強兵}という国家スローガンのもと、帝国主義の列強諸国と互していくためには、時代が要請は軍人の養成でもあった。
また当時結核という不治の病もあり、それに罹患してたか知らぬが。しかし、他人をどうのという話は聞かない。単独であり、{美学}を含めるとおもわせる節もある。
明治という時代、自分は軍人としては使い物にならぬ不合格だとおもうから、華厳の滝に修学旅行したから、或るおもいも残ってあります。その後、職場の研修旅行で「こころみ学園」への途中、霧降の滝などその地域を再訪した経緯もあります。
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いろは坂を登った日光高原で見上げたのは、墨も雑じったかの青空。後年、欧米の若い女性がそこでひとり迷い凍死したという事故を知る。
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更に後年、中禅寺湖岸は、古くから、在日欧州の各大使館の別荘銀座、ということで、合点がいった。
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山口県周南市の徳山工業高等専門学校で2006年8月、5年の女子学生(当時20歳)が殺害された事件で、発生後に遺体を目撃するなどした女性教職員2人が、事件がきっかけで心的外傷後ストレス障害(PTSD)になったとして、徳山労働基準監督署に労災を申請し、認定を受けていたことが分かった。
事件は06年8月28日、同校の研究室で女子学生が殺害されているのが見つかった。同県警は、同級の男子学生(同19歳)が、ひもで首を絞めるなどして殺害したとみて行方を追っていたところ、男子学生は10日後の9月7日、同県下松市内の山中で自殺しているのが見つかった。県警は同年10月、男子学生を殺人、強姦(ごうかん)致死容疑で容疑者死亡のまま山口地検に書類送検し、同地検は不起訴処分にした。
同校によると、労災認定を受けたのは40歳代の女性教員と20歳代の女性職員で、いずれも研究室で遺体を目撃した。事件直後から体調を崩してPTSDと診断され、06年に労災申請したという。
同校は「具体的な症状は明らかにできない」としているが、2人は通常の仕事ができなくなったり、研究室がある建物に入れなくなったりしたという。
このため、教員については異動させ、職員は研修名目で別の教育機関で勤務させる措置を取った。その後、2人とも徳山高専に戻ったが、教員は今年4月、同校での勤務は困難として別の教育機関に異動。職員も体調不良で休みがちという。
同校は「2人は現在も治療を続けている。ほかにもPTSDになったり、体調を崩したりした職員が複数いる」としている。
PTSDに詳しい鹿児島純心女子大大学院の久留一郎教授(臨床心理学)は「事件の現場が校内ということや、教職員と学生という関係の近さを考えると、事件の被害者でなくてもPTSDになる可能性はある。国がそれを労災と認めたことは、評価できる」と話している。(2009年8月8日読売)