「高校で日本史を必修に」。こんな要望書を東京、神奈川、埼玉、千葉の首都圏4都県の教育長が、近く文部科学相に提出するという。
最初に言い出したのは、神奈川県の引地孝一教育長だ。
「日本が米国と戦争したことさえ知らない若者がいる」「県内で3割の高校生が日本史を学ばずに卒業していく」「国際社会で競うためにも、自国の歴史や文化を深く理解する必要がある」。そんな考えから先月末、4教育長の会議で、連名での要望を持ちかけ、合意を得た。
神奈川県は、こんな提案もする。日本史の必修化が難しいなら、世界と日本の「近現代史」を総合的に学ぶ融合科目を新設し、全生徒に履修させてほしい。
自分たちが暮らす現在の社会に直接連なる近現代の歴史を、今以上にしっかり教えるべきだ、との提言だ。
現在の高校学習指導要領は「地理歴史」の教科の中で「世界史」を必修とし、併せて「日本史」か「地理」のいずれかを選択履修することになっている。
1989年の指導要領改定でそうなった。それまでの「社会科」が「地理歴史」「公民」の二つに改編され、地理歴史は「国際化の進展に対応し、他国の文化や世界の歴史の学習を充実させる必要性」から、世界史だけが必修とされた。
以後、中央教育審議会では、高校社会の科目編成について「再検討すべきだ」という声が幾度か出されてきた。日本史の必修化論も出た。「近現代史」や「地理歴史総合」といった科目を新設してはどうか、といった意見もある。
近現代史に関しては、4年前に実施された高校の全国学力テストで、「基本的な事項の理解が不十分」との調査結果が出ている。受験の影響だろうか、用語は覚えているのだが、歴史の流れの中に位置づけて理解できていない実態もわかった。指導法の改善も必要だろう。
日本史、世界史、両方の必修化には、「地理」の重要性を訴える有識者らの反発が予想される。日本史だけを必修にするなら、今度は「小中高を通じ、世界史を学ぶ機会がほとんどなくなる恐れ」が指摘されよう。調整は容易でない。
「方法論は国に考えてもらいたい。私たちは理念と大枠を提示し、議論を全国に広げたい」と引地教育長は言う。
文科省では、要望書が提出されれば速やかに中教審の専門部会で議論したい、という。今年度中に予定されている指導要領改定に反映される可能性もある。
時代の変化を踏まえつつ、今の若者に日本史、近現代史を学ばせることの大切さを、じっくり議論してもらいたい。(2006年9月10日読売新聞・社説)
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この国は、ありがたいことに、60年間、平和に暮らして来られた。
といっても、敗戦、廃墟と瓦礫の荒廃の中から、食料難に耐え、数ある台風の河川の氾濫、住居の雨漏りに修繕し、労働争議に洗われながら、炭鉱落盤事故に慄き、そしてそれから暖もとってきた。
しかしこの間、この地球上の各地至るところで紛争、騒乱、そして戦争があった。それを知らない、では済まされない。半永久的にこの島国に戦争が無い、他国からの紛争、騒乱、そして戦争に巻き込まれない、それらの保証などない。
ゆえに、緊張絶えない各国の動静、国際情勢。それらと並行して、この国の平和であった要因、条件などを学び、把握しておくことは、万一の防備と対処に、有益な常備となるであろう。
[ヨハネの黙示録]には、4頭の馬の記述がされてある。
よく勤勉と倹約と結束、そして再生は、未然とあるいは回避を呼び込むことをしてきた。
この国はすでに、他国の紛争、騒乱、ましてや戦争、それらに無関心を装うには余りに重要な地位をもはや得ているのであろう。
保障、支援、仲介、そして医療。期待に答える平和維持を。