5年も経った。はやいものだ。愛する家族を失った遺族の悲しみ、嘆き。やはり、直接の被害者でないから、としか言いようがない。
この1年。長く独裁を強いた中東で、その者は裁判にかけられてある。これが先ず安心。また先ごろ、英国では同様のテロを未然に防いだ。これも安心。ありがたいことだ。
取り締まる側も体制が堅固に、警備が厳しくなった、ということだ。
この間、テロ首謀者のメンバー逮捕やら死亡確認など、周辺の状況も改善されつつある。捜査、捜索関係者の労苦に謝意を表します。
テロ当時の、劇映画も数作られた。崩落したビルに埋もれてしまった救助消防士たちのそれもあれば、乗っ取られても最期まで勇敢に抵抗した航空機乗客たちのそれもある。
それは紛れも無いアメリカ人の美徳で、国境を超えた市民の誇りであろう。記憶から消えそうにない。機内の刻々の様を追った作品は、残すに価値がある。無名の俳優こそ演じられる、国民の栄誉について考えさせるものだ。
TVで、また紙面で、遺族という殻から抜け出せないでいる内は、彼らに同調したいとおもう。自分もかなしいのだ。とりわけ、若い人も多くいたのを、知らないと言えないから。日本人もいたのを知っているから。
{ワールドトレードセンター・ダスト}症候群、というべきなのか。衝突され崩壊した2棟のタワー、その拡散した粉塵が、その後6ヶ月付近に残留し、救助活動に携わった消防士、警察官、そしてボランティアの方々に、後遺症としての所見が医療従事者から収集された。粉塵成分はダイオキシン、アスベストなども含むというから、因果関係は推察される。今後、この補償問題も浮上してきそうだ。
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[米同時テロ5年]「国際社会の戦線再編成が課題だ」
あの米同時テロから5年。世界の秩序破壊を狙うイスラム過激派によるテロは今も続いている。有効な対テロ戦略の構築は国際社会の未完の課題だ。
対テロ包囲網で、中核的役割を担うことができるのは、やはり、外交、軍事、金融などすべての面で傑出した能力を持つ米国をおいてほかにない。同時テロの被害国でもある。
しかし、5年後の今日、「テロとの戦い」が、十分な成果をあげている、とは言い難い。
ブッシュ米政権は、軍事攻撃したアフガニスタンとイラクの“変貌(へんぼう)”を、対テロ戦争の最大成果にあげている。
アフガンではタリバン政権を倒し、国際的テロ組織アル・カーイダの拠点を除去して、民主政権を樹立した。イラクでも民主政権をうち立てた。両国は今、対テロ戦線の一角にある、というのだ。
だが、両国とも、国際社会の支援なしには、治安維持も復興もできないのが現状だ。アフガンではタリバン勢力が盛り返す勢いだ。イラクでも、宗派間の対立など内戦に至る懸念が顕在化し、厳しい局面が続いている。
両国の安定化へ、国際社会の一層の連携強化が求められる局面である。
そうした観点から、憂慮すべきは、米国内の分裂の深まりだ。
同時テロ直後に90%近くに上昇した大統領支持率は、今では30%台に低迷している。最新の米世論調査では、イラク戦争で「勝っている」と見る回答は25%に過ぎず、約6割が戦争に「反対」している。開戦当時と状況は逆転した。
大統領の指導力の低下が、肝心の米国で、広範な支持を受けての強力な対テロ戦略の展開を難しくしている。米国自身が難局にある。
先月、英国で、米国行き旅客機の爆破テロ未遂事件が摘発された。国際協力でテロを未然に防止した貴重な成功例だ。パキスタン系英国人と、パキスタン居住の関連容疑者が逮捕されている。
裏を返せば、今なお、世界各地でイスラム過激派によるテロの画策は続いているということだ。同時テロ後、サウジアラビア、インドネシア、スペイン、英国などでテロが起きた。日本も、「イラク戦争への加担」を理由に、テロの標的に名指しされたことがある。
強大な軍事力を背景に単独行動主義を強めた米国には、様々な批判が可能だ。だが、米国の政策のいかんにかかわらず、自由や寛容を拒否するテロ勢力の跋扈(ばっこ)を許すわけにはいかない。
対テロ包囲網の構築へ、国際社会の連携強化で対処するしかない。
(2006年9月10日1時29分 読売新聞・社説)
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【ニューヨーク=大塚隆一】米同時テロの犠牲者を追悼する大規模な式典が、丸5年を迎えた11日午前8時40分(日本時間同日午後9時40分)すぎから、2749人が犠牲になったニューヨークの世界貿易センタービル跡地「グラウンド・ゼロ」で行われた。
乗客が乗っ取り犯に立ち向かったユナイテッド航空93便の墜落現場ペンシルベニア州シャンクスビル(犠牲者40人)と別の乗っ取り機が突入したワシントン郊外の国防総省(同184人)でも、犠牲者の冥福(めいふく)を祈る式典が開かれた。(2006年9月11日読売新聞)
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東京都港区の米国大使館前では11日夜、米同時テロで最初の旅客機が世界貿易センタービルに突入した時刻に合わせ、式典が行われた。
半旗が掲げられ、賛美歌が流れる中、ロウソクを手にした日米の市民ら約150人が参加。献花や記帳をして、犠牲者を追悼した。
トーマス・シーファー駐日米大使は「あの日、テロリストたちのもくろみは失敗に終わった。人間の心を破壊できず、逆に強める結果になった。犠牲になった勇敢な人々のために、黙とうをささげましょう」と呼びかけた。
参加した東京都練馬区の会社員女性(28)は「平和のため、自分にも何かできるのではないか。それを考えたくて、ここへ来た」と話していた。(2006年9月11日読売新聞)