小泉前首相の靖国神社参拝は政教分離を定めた憲法に違反するとして、沖縄戦の遺族や宗教関係者ら80人が、国と前首相を相手取り、1人当たり10万円の慰謝料を求めた訴訟の控訴審判決が12日、福岡高裁那覇支部で言い渡された。
小林正明裁判長は、「原告らの法的利益が侵害されたと認められない」と述べ、違憲性や参拝の公務性については判断せず、原告の請求を棄却した1審・那覇地裁判決を支持、原告側の控訴を棄却した。原告側は上告を検討する。
判決で、小林裁判長は「原告らが沖縄戦の悲惨な体験から、参拝に対し、不快感を抱いたとしても、信教の自由について強制や不利益を受けた事実は認められない」と述べた。
小泉前首相の靖国参拝を巡る集団訴訟は全国6地裁で8件起こされ、原告の請求はすべて棄却された。ただ、福岡地裁判決(2004年4月)、大阪高裁判決(05年9月)が違憲判断して確定している。
最高裁は今年6月、一連の訴訟では初めて「参拝によって、損害賠償の対象となる法的利益が侵害されたとは言えない」との判断を示し、今回の判決はこれに沿った内容となった。
訴訟の対象となったのは、小泉前首相の6回の参拝のうち、01年8月と02年4月の2回。前首相は公用車を使って訪れ、「内閣総理大臣小泉純一郎」と記帳して参拝、献花した。
昨年1月の那覇地裁判決は、地上戦や集団自決など沖縄の特殊性について言及しながらも、「参拝で原告の法的権利が侵害されたとは言えない」と指摘した。(2006年10月12日読売新聞)
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はじめまして。ごく最近の「仏教ルネサンス」「これで日本は大丈夫?」を読んで、並びに某紙掲載の貴氏「疲れすぎて眠れぬ夜のために」よりの「石原千秋先生の国語教室~大妻多摩中学校2006年度入試から」が目に留まり、タイミングだとおもいまして、意見述べさせてください。
>で、英霊たちはこれについては何と?
Wikipediaでさがすと、真珠湾攻撃当時の沈没戦艦アリゾナは現在も湾上の記念館としてある。そして、その日は当時の外務省が職員の暗号解読の遅れで宣戦布告が攻撃以後という、もはや史実もある。「開戦の強要」の削除であるが、神国(国家神道)日本が、神国(キリスト教)の日曜日(主日)を宣戦布告もせずに攻撃したならば、秤に掛けて「開戦の強要」は消してくれと言われれば、この国60年の平和を顧みるに、その謙譲か妥協か知らぬが、1951年の安保条約および60年の新安保、そして70年の更新と、更にそれから30年間の歳月。
当時のモノクロのニュース、『大本営発表、・・・未明、帝国陸海軍は・・・において戦闘状態に入れり』、外務省がミスしようがしまいが、その状態に入ったのであれば、祖国の為戦場で命令を受けて戦うのが、出征将兵であります。
遊就館に入館すると、「国難に殉じた」とあります。 英霊たち、といわれても、個別に調べる労苦を払わずには、無礼でしょう。その戦死日と場所、のことではありません。彼らの「本音」と「建前」の本心の拠り所、のことです。職業軍人が天職の人が何人居たか、知り得ません。その内更に、『靖国で会おう』と信じて遺書もしくは戦友に遺言を託した方が何人居たか、それをも知れ得ません。「本音」はそうでなくとも、遺族の手前、憲兵等に検閲されるから、烈士の手紙しか書けなかった、それが皆無だと誰が断言出来ましょうか。読む側の理性や知性など、なんら係わりないのです。勝手な解釈しよって、と向こうで彼らはおもってるかも知れません。でも彼らも同意するであろう基準というものが、60年後の国民に共通に認識承知されるものならば、それはこの国のその間の平和と国民の安全でありましょう。そして、それが結果証されたものであるならば。
「米経済の復興」、これをも、それでは同様期間の「朝鮮動乱」、ならびに「ベトナム戦争」。○○景気とか、所得倍増とか日本列島改造とか、冷戦構造のさ中、アジアにおける二つの半島の戦場を海を隔てて見ながら、内需拡大、勤勉な国民性と効率ある高い技術力をもって、日本経済の復興を果たしました。
二箇所の項目を削除しても、英霊たちは、よし、と答えるのではないか、というのが自分の推量なのです。これも彼が英霊にしてクリスチャン、限定かも知れません。
そして合わせて、近代日本の夜明けが明治維新ならば、明治天皇が指示で造られた靖国神社は、これ以上、建前のそれであれ、本音のそれであれ、{英霊たち}を量産して欲しくないのです。すなわち、明治から昭和までが『英霊たち』の時代であれ、それで定員を締め切った、そう受け取りたい。
勿論、神社の近くを通り、その人が門扉の前でその人なりの祈りをせずにいられないなら、また門内に進み出てそうしなければ気が済まぬなら、それは個人の自由でしょう。さらに奥まで歩き、社殿の前の『英霊たち』の遺言の掲示まで読むも、その個人の自由に帰します。
吉祥寺の月窓寺といえば、以前榎本武揚の墓探しに行ったことがありましたが見つからず、他の墓石の側面をたどっていたら、あるそれは、日中戦争で大陸に召集され一たん帰還し、再度召集されまた生還を果たし、そして三度目ですか、終戦近く若い兵士も足りず、また呼び出され、そして落命した年月日が刻まれてました。これは二度目の間違いかも知れませんが。いずれにしろ、それで分別がついたのです。明治の元勲の墓の在り処を知れば、話のネタにはなる。しかし無名の兵士のひとりの九死に一生の連続で終わりは流石に命運尽きた、そんな話はネタにならんか。同じ墓地に時代が違う人が眠る。そんな墓地マニアになった自分はトリックスターのひとりかな、と。投稿者 kaihuu : 2006年10月09日 03:35