靖国神社の運営方針を決める総代に1日、神社本庁総長の矢田部正巳氏が就任した。靖国神社は、全国8万の神社を束ねる神社本庁の傘下に入らない単独の宗教法人で、神社本庁のトップが靖国神社総代になるのは初めて。
神社本庁は靖国神社に祭られているA級戦犯の分祀(ぶんし)に否定的な見解を発表している。矢田部氏が靖国神社総代に就任したことで、神社本庁として靖国神社を擁護する姿勢が鮮明になった形だ。
靖国神社の総代は10人で、この日は、矢田部氏のほか、日本遺族会副会長の森田次夫・前参院議員、古河潤之助古河電気工業相談役の両氏も新たに総代に就任した。(2006年11月2日読売新聞)
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核兵器の議論と、A級戦犯の分祀(ぶんし)の問題、は脳裏にある。
前者は、議論だけならいいではないか、というものだが、未来に係わる。後者は、それでは過去に係わるのだけれど、議論だけという訳には行かず、ならばそれでどうおもうのか、と賛否まで問われてしまう、気がする。
宗教法人靖国神社としては、A級戦犯だけの分祀(ぶんし)、というは、差別だろう。それで信者さんが離れていくのは、本意であろうはずはない。信者さんの数が減少をおもんばかって、のことではないだろう。
はなはだ歯切れが悪いが、自分は部外者。そこからしか視点がないのである。個別を承知で述べるしかない。
{戦陣訓}をつくって、出征将兵に命令として訓示した方がいた。{生きて虜囚の辱めを受けず、羽毛のごとくに軽い}兵と、洗脳した、としかおもえないものである。この方は戦時、天皇を除けば、最高指導者の責任を問われて然るべき地位と軍籍にあった。
昨今、「硫黄島」2部作が日本でも映画公開され、またされるが、その地獄に派遣されし将兵のみならず、北はアッツ、南はマキン・タラワ、ペリリュー、そして餓島と言われしガダルカナル。西はインパール。玉砕の美名に、あるいは転進の曲命に、幾多の、それこそかけがえのない命が失われたのである。戦うだけ戦い、それで白旗を掲げても、敵はその命を救う。それが当時の敵国の捕虜への扱いであった。その方個人はその覚悟を何時から決意がわからぬが、前線将兵まで、道連れ、そりゃねえだろう、が{戦無派}でしかない自分の感慨である。
そうなると、A級戦犯の分祀(ぶんし)とは、その対象者を更に個別に調査して、ということになってしまう。それも、時間も、兵役もはるか遠い自分には、距離が在り過ぎる。
現在も、戦後60年経た今日も、その島に未回収の1万余将兵遺骨があるという現実は、生還なった戦友の方々も、遺族も、痛恨の極みであろう。
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