コロンビア大学名誉教授のドナルド・キーンさんらが語り合う「上方文化を遊ぶ」(読売新聞社共催)が6日、東京の新宿文化センターで開かれた。
キーンさんが半世紀前に演じた狂言の舞台を撮影したビデオを上映、人間国宝・茂山千作さんらの狂言も披露された。この後、キーンさんは作家の平野啓一郎さんと対談し、親しかった作家の三島由紀夫の人間性や作品などについて語った。(2006年11月6日読売新聞)
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{髪型文化を学ぶ}ではなかった。
センターにも行かなかったけれど。
同じ新聞社で連載中の「私と20世紀のクロニクル」(毎週土曜)も気にしています。
印象に残るエピソードを述べます。従軍中、沖縄辺りまでの海を作戦北上時、特攻機が目掛けて突入するを僚艦かのマストが衝突で、命拾いしたこと。「徒然草」を翻訳したこと。大女優グレタ・ガルボとデートしたこと。そして、三島氏に何人前かの海老を招待されたこと。それから、司馬遼太郎さんから、めぐりめぐって明治天皇伝記執筆の話が来たこと。
何故か、師弟で、ノーベル賞を競い、師匠に行き、弟子には順番が外れた。そのことをキーン氏は書いているが、詳細がわかるのに役立つ。川端さんの孤独と、三島さんのそれとは違う。其れ位しかわからない。「伊豆の踊子」と「雪国」の叙情、そして「山の音」は感覚で近い。それに三島作品は何も読んでない。その映画化されたのは観たが。鍛えた筋骨が、先に来てしまう。演劇の領域までタレント発揮したので、文学賞なるものは距離置いて見られたのか。
後年、『トンネルを抜けると、そこは拉致被害地だった』
三島さんが居なくなって、護ってくれる人が居なくなった、というのも実感です。
それで、「樹座」を主宰した{狐狸庵}さん。そして「街道をゆく」の司馬さんに至るのは、平凡な読者として尋常な流れではないでしょうか。
東京銀座、その大通りは昭和通りでしたっけ。かってそこに面したビルでの彼の遺品と著作展示会に行ったのは、地価バブルの崩壊並びに首都直下型地震の災害、それが時を同じくして来たら、この国は壊滅するやも知れぬ、その恐怖心からかも知れません。