NHK総合.ラストメッセージ(全6集)
第3集「愛と怒りと 映画監督・木下惠介」
戦後日本映画界、国を母国という呼び名で呼ぶ時があるなら、映画少年として育ったことも肯定するなら、この監督を忘れる訳にはいかない。
まさに母的なるものをよく抱合し、情緒あふるるを惜しみなく、観客に共感を訴えた。
映画そのものが夢を与えるものであり、現を写すものならば、訓示的であっては堅苦しく、夢想に過ぎないならば、映画館を出れば消す。
木下組は、日本映画史の或る時代であり、消えない光であろう。
古典足りうる多くのタレントを集めた。あの戦後、稀なチームだ。
このやさしさは何なのだろう。この全編に流れる情のもろさは、耐えられるんだろうか。それが映画という枠で守られ、観客に開放される。
やはり、そうなると、その映画で、魅了したというよりも、観客に純情とか素朴とか、それを呼びさませてくれた女優の方々を挙げない訳にはいかない。
高峰秀子さん、庶民の哀歓だけではない。母なるもの。愚れようかなって少年は、彼女の泣き顔見せられてしまうと、止めようっておもってしまう。木下監督とコンビで数々の作品に主演された。「二十四の瞳」、「カルメン故郷に帰る」、「喜びも悲しみも幾年月」。
その作品の作られし時代背景まで、想像力を働かせることが出来るなら、彼らの仕事が輝かしい栄誉とともに賞賛されることに気付くだろう。たとえばフランスのマルセル・カルネ監督「天井桟敷の人々」、イタリアのロベルト・ロッセリーニ監督「無防備都市」。
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長崎県・男女群島の女島灯台が12日正午、動力をディーゼルから太陽光に切り替え自動化された。海上保安庁が国内3337カ所の灯台で進めてきた自動化がこれで完了。女島灯台には当面、残務処理のため職員を残すが、12月上旬をめどに無人化し、有人灯台が国内から姿を消す。
女島で同日予定されていた記念式典は悪天候のため中止され、海上保安庁の枡田一彦交通部長が五島列島・福江島で記者会見、「灯台守として、船舶の交通の安全のため日夜努力してきた職員やその家族に敬意を表したい」と話した。枡田部長によると、灯台守が最も多かったのは1953年当時で、全国に約1100人いた。
女島灯台は今後、気圧、風速、風向などの気象データを自動的に電波に乗せて送信。滞在職員が目視で行ってきた波高の計測は既に3月末で終了、現在は福江島の灯台からレーダーで行っている。無人化後は3カ月に1回程度、長崎海上保安部の職員が訪れ、機器点検などを行う予定。
女島灯台は1927年、初点灯。がけの上に建つ高さ約15メートルのコンクリート製の建物で、灯台守の転勤生活を描いた木下恵介監督の映画「喜びも悲しみも幾歳月」(1957年)の舞台の1つにもなった。
女島は福江島の南西約80キロ。男女群島全体が国の天然記念物に指定され、許可なしに上陸できないが、周辺海域は好漁場で釣り人に人気がある。[2006年11月12日](nikkansports)