NHK総合・午後再放送 「プレミアム10 世紀を刻んだ歌
「明日に架ける橋〜賛美歌になった愛の歌」」
かって「エマオ」という地で職員でいた時に、柿の種の缶に納めて持って行ったドーナッツ盤のひとつ。同時持参の「サウンド オブ ミュージック」♪のLP盤は、音楽担当の方の許可を得て、体育館兼講堂で園生集合、舞台の袖で蓄音機鳴らしたのを憶えている。何しろ園長が元音楽教師だから、そこまでの具申はせなんだが。
「明日に架ける橋」♪は、向かいの席で机上で洗濯班のたたみものをしてた同僚の女子職員に、ある日掛けてもいいか聞かれ、ふたつ返事で答えた。サイモンとガーファンクルの顔がモノクロ写真。
自分が当直の就寝前と翌日起床時はそのデッキで、ドビッシー「月の光」♪とか岸洋子歌「希望」♪、「夜明けのうた」♪を流した。どうせ、同じ敷地内の園長居室まで聴こえんだろう。怒られんだろう、と。
その職員は学生時代、自分の育った土地で過ごしたという。
ある晩、日勤終了間際だったか、職員室窓の外の雲行き怪しくなって、様子を見に来た彼女に『風雲急を告げてる』なんて言って、トホホ、それから帰郷する事態になろうとは。住み込みはつらいよ。
同僚の男子職員からは「月の光」♪の置き土産、断れないよな。
その曲が、“賛美歌”になったなんて。
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1970年に発表され、これまで千百万枚のセールスを記録しているサイモンとガーファンクルの「明日に架ける橋」。発表当時アメリカは、ベトナム戦争と公民権運動による混迷の真っ只中。ゴスペルにヒントを得て作られたこの歌は、荘厳な調べと鮮烈な歌詞によって、現状を糾弾するメッセージソングとして爆発的なヒットを呼んだ。その後多くの歌手によってカバーされたが、中でも黒人女性歌手アレサ・フランクリンの歌は、人種隔離政策が続いていた70年代後半の南アフリカで独自の発展を遂げた。「僕が体を横たえるから、荒れた海にかかる橋のように……」という歌詞に共感した黒人居住区の人々が、教会の賛美歌として口ずさむようにまでなる。そして作曲者のポール・サイモンは南アに渡ってコンサートを開き、展開する反アパルトヘイト運動の力となった。また、9.11同時多発テロの際には、ポール・サイモン自らが犠牲者追悼のために歌ったことが引き金となり、再び全米で大ヒットを飛ばした。世界を駆け巡り、戦争や人種差別への抗議の象徴となり、教会での“賛美歌”にまでなった「明日に架ける橋」の物語を、女優・緒川たまきが解き明かしていく。(NHK)