かいふう

近未来への展望や、如何に。

半世紀後の帰還。

武庫川(むこがわ)女子大(兵庫県西宮市)の学生たちが留学先の米国から持ち帰った旧日本兵日章旗が18日、65年ぶりに新潟市の遺族のもとに届けられた。

妻は夫の唯一の遺品に「お帰りなさい」と声を掛け、涙ぐんだ。学生らは「今もつらい思いをしている人がいる。平和な世の中を作らなければと改めて思いました」としんみり語った。

日章旗は、同女子大英語文化学科2年の木村百合奈さん(20)ら5人が昨年秋、米国ワシントン州に短期留学中、地元の男性から「遺族に返してほしい」と託された。米兵としてミッドウェー海戦などに従軍した男性の兄が戦地から持ち帰り、保存していた。

木村さんらが持ち主を捜しているとの記事が新聞に載ったことから新潟市白銀、児玉カツヱさん(89)の夫で、陸軍第2師団歩兵第16連隊に所属し、1943年1月、27歳でガダルカナル島で戦死した平太郎さんのものと判明した。

旗は縦約65センチ、横約70センチ。勤めていた新潟鉄工所の同僚約50人の名前や「児玉平太郎君 祈 武運長久」「生キテ還レ」などの言葉が書かれている。体に巻き付けていたとみられ、銃弾の穴や血痕も残っていた。

受け取ったカツヱさんは「夫が帰ってきたのと同じ。お帰りなさい、ごくろうさま――と言ってあげたい」と涙を浮かべた。出征時は生まれていなかった長男の敏明さん(65)は「戦地からは遺骨も戻らず、わずかな遺品もすべて新潟地震(64年)で焼けた。この旗をおやじだと思って大事に守っていきたい」と、色あせた旗をいとおしそうになでた。

旗を託した米国男性からは「持ち主が見つかり、うれしい。平太郎さんもご家族のもとに帰ることができ、幸せだろうと思います」との手紙が寄せられたという。(2007年1月18日読売新聞)
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ガダルカナル島、といえば、【餓島】として恐れられ語り続けられた。
新潟地震(64年)は、義務教育の最後の年、赴任した女性教師が英語で、たまご顔に色白、眼がぱっちりで、たしか新潟出身だった。進学してからの、その地震で、彼女の郷里はどうしたかとおもった。
でも、いい話だ。数ある人びとのリレーションシップがある。短期留学中、に地元新聞に留学生が載ったのか。それを読んで、押入れからでも探し出し、届け出た。ここでも、兄弟が出てくる。そして帰国してからも、記事の新聞で、伴侶の手まで戻る。
昨年秋、といえば、公開中の映画「硫黄島」の第1部、そして第2部のロケの話題やらはTVや新聞で流れていただろうに。