107人が死亡した2005年4月のJR福知山線脱線事故で、国土交通省航空・鉄道事故調査委員会(事故調)が関係者や学識経験者の見解を聞く「意見聴取会」が1日午前、東京・霞が関の同省で始まった。
鉄道事故で意見聴取会が開かれるのは初めて。この中でJR西日本は、事故調が事故の背景として指摘した運転士への「日勤教育」について、「事業者として安全を守るための責務だ」と必要性を主張した。
一方、遺族はJR西の効率優先の企業体質を批判した。
最初に意見を述べたJR西の丸尾和明副社長は、事故現場への新型ATS(自動列車停止装置)の設置が遅れた点については「カーブでの速度超過は起こらないのが常識で、対策が必要とまでは考えていなかった」と述べた。
一方、事故で大学生の長男を失った兵庫県伊丹市の会社員・山中秀夫さん(51)は「余裕のないダイヤにもかかわらず、1分程度の遅れで運転士に回復運転を強いるのは、JR西によるパワーハラスメントにも等しい行為だ」と述べた。(2007年2月1日読売新聞)
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「これが最後の闘い」。107人が死亡した兵庫県尼崎市のJR福知山線脱線事故で、1日午前に始まった国土交通省航空・鉄道事故調査委員会(事故調)の意見聴取会。なぜ息子が死ななければならなかったのか、その理由をどうしても知りたいと、JR西日本幹部ら約70人との面談を繰り返してきた兵庫県伊丹市の会社員、山中秀夫さん(51)は、強い決意を胸に公述人席に立った。
芦屋大2年だった長男、慎太郎さん(当時19歳)は事故当日、事故現場手前の停車駅・伊丹駅で快速電車がオーバーランしたため、いつも乗る4両目ではなく2両目に乗って事故に遭った。親思いの息子は、両親の趣味だった鉄道旅行にもよく付き合い、寝台列車に乗り、SLを追いかけた。家族で重ねた旅の写真は事故後、すべて燃やした。
「息子のためにやれることはすべてやりたい」。そんな思いに駆り立てられ、営団地下鉄(現・東京メトロ)日比谷線の脱線事故で息子を失い、営団の責任を追及した遺族と連絡を取った。遺族からの励ましのメールに後押しされ、JR西の関係者と面談。数百ページの資料を基に、山崎正夫社長や死亡した運転士の同僚ら約70人に質問を繰り返した。
得られたのは、「現場カーブに自動列車停止装置がない状態で、あの電車を止めるには、車掌が非常ブレーキを操作するしかなかった」という確信だった。
勤務先の土木会社では、保安に関する社員教育のリーダー。2人1組の「組作業」が常識だ。しかし、JR西では運転士と車掌の意思疎通がほとんどないと知り、がく然とした。
車掌は事故直前、オーバーランをめぐる輸送指令への無線連絡に気を取られていたが、「無線ではなく、ミスを犯した運転士の心理や異常な運転状況を気にしていれば」との思いは強まった。聞き取りの中で、JR西の幹部は、速度超過した際の車掌のブレーキ操作について「教育していなかった」とも言った。
「人間は一人では間違いを起こす弱い動物。それを補うのが、組織の仕組みによる組作業。当然のことがJR西日本ではできていなかった」
聴取会で山中さんは訴えた。「事故は二つのものを私から奪った。一つは息子、一つは趣味だった鉄道旅行の楽しみだ。いまだに、やむを得ない場合を除いて電車には乗車できない」(2007年2月1日読売新聞)