NHK教育「こころの時代」午後2時〜3時(再)
アメリカ出身の禅僧トーマスさんの自分史というべきものでしょう。美丈夫です。
奇妙な感覚に捉われました。だって、そうではありませんか。
カトリックの父親が医者の家に生まれながら、次男で妹もいて、ティーンエイジに失恋して、当時ベトナム戦争を背景に、鈴木大拙氏の「禅入門」に触れて、交換留学だかの制度でこの国に来て、弓道と禅の道を究めようとし、禅僧を選択。師の紹介で各地の寺院や道場で修行、座禅を研鑽、作務と悟りの日々を送った。その間、生家と同じミッション系関西某大学での研修、内臓の癌の疑いで帰国手術。誤診か回復で、再度来日。再び禅僧の道を選択した、と。
初恋に失恋は、誰でも。彼はそれで、キリスト教国の母国が当事の戦争に、離れて異教の禅に、日本を選んだ。
以前、カトリックの修行僧が集団来日し、禅寺で同じ床板に対面瞑想する会合のカットも見た。カトリック信者の方が、国立公園の森林内施設に参禅の合宿に行く、なんていう話も読んだ。
自分の偏見でしょう。何年もの悟りへの座禅の修行。その行為をした体験実績こそ、紛れもない彼、の存在ですから。法衣を纏ってある彼の真実は、彼のものですから。日本人ですら稀なその選択を、何故彼がそうしたか。彼の述懐する失恋とベトナム戦争、この二つのキーワードしか、他ないでしょう。失恋は、ワカるんです。
しかし、ベトナム戦争、はわからない。彼にとっては、直接の問題です。が、自分には、間接なんです。ここで、分かれます。分別。失恋した相手が地元の同じ教会員で、それで故郷から離れたのか。それとも、その相手がベトナム戦争に志願兵した男に心変わりしたのか。どれもこれも、勝手な異国人の自分の憶測です。
彼は次男です。長男に後を継がせる親の無意識があるなら、家を出ても差し支えないでしょう。三男もいるなら、尚更でしょう。
劇映画「エデンの東」を思い出しました。実は、このメロディ♪がハミングで出たのは、今日の午前中でした。この再放送は午後です。画面で見て、はじめて東洋人でない彼を観たのでした。まるで、観光客が観るように、彼を。非常に分かりやすい日本語です。
共感を覚えずに居られませんでした。でも、信徒としての在り様は、逆方向です。彼はキリスト教から仏教へ。自分は現在、自称クリスチャンです。自分はティーンエイジ、学校の単位科目で柔道着姿になり、授業の試合前、体育館のマットの上で、正座に座禅もどきを教わりました。
劇映画「エデンの東」をある講堂で観た時は、自分の斜め左前に座った知人の女は、後日観ないと言いました。
勿論、映画も原作の小説も、人が作ったもので、完全ではありません。[旧約]を題材にしていても、羊飼いを嫉妬で殺すのは、{神話}の域の話で、兄がどうの弟がどうの、どっちが悪いの、呪われているの、の話ではないでしょう。
ここまで禅僧の彼に共感したのは、もうひとつ共通項があります。でも、ここでは、それは述べません。
少年は空想から、せめて彼の映画を監督できたら、とおもいました。
そして、ならば、青年として、ひとつの映画を作ることに参加したい、と夢想しました。
しかし、時代は、朝鮮動乱を経て、ベトナム戦争の時代まで来ていました。