弘法大師空海の帰朝1200年を記念して、神奈川県大磯町、僧侶岸好猛(本名・好治)さん(57)が5日、京都市南区の東寺を出発し、中国・福建省の海岸から唐の都・長安(現・西安)まで空海がたどった約2600キロを歩いて巡礼する旅を始めた。
空海は804年、遣唐使船で出発。福建省北東の海岸「赤岸鎮」に上陸し、長安で高僧恵果(けいか)から密教を学び、806年に帰国した。
岸さんは1981年、トラック運転手から仏教の道へ。人力車での四国遍路や日本列島888か所巡礼を成し遂げた。岸さんはこの日、東寺・御影堂で安全祈願の法要を営んだ後、僧侶らに見送られながら東寺を後にした。8日に中国入りし、3か月かけて西安に到着する予定。岸さんは「弘法大師の原点でもある中国を巡礼するのが、私の夢、ロマンだった。弘法大師に寄り添う気持ちで、足跡をたどりたい」と話した。(読売)
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トラック運転手、という職業から真言宗は、わかる気がします。
出発地京都の東寺、自分も境内散策しました。ここの五重塔は、TV番組などで見ても、気分が落ち着くのは、やはり弘法大師の遺徳だと感じますね。奈良の東大寺戒壇院、そこでも説明受けた記憶あり。同じく明日香村橘寺より下りて旧川原寺跡を行くと、弘法さんが彫ったとされる本尊の寺で拝観した。どれも縁といえばそう。この川原寺が、叔父の阿刀大足の仕えていた桓武天皇第三皇子伊予皇子が幽閉され自害した、その寺と同じ名である。知れば知るほど、天才を認めますね。当時戦国の大名の墓碑群が彼の入定地を囲んであるのにも、それを頷けるものがあります。胎蔵界と金剛界、大日如来と曼荼羅、そして「同行二人」まで、至れり尽くせりの完璧ですね。それも、四国という島と密接に繋がっているから、イコールという感覚である。
罪深い異教徒でも、それがわかる、そのことがキリスト教徒の認識力だと勝手におもってます。民衆を多く救った史実は、紛れも無く口承伝達されて来たのですから。
それに、「エマオ」の園長も、この島出身だとおもってますから。