かいふう

近未来への展望や、如何に。

桜と、さくらと、サクラ。

kaihuuinternet2007-03-21

「さくら」♪という歌がある。小学生の時教わって憶えたが、名曲である。ゆったりとして、趣があって、古よりの大和の国の郷土や風光が流れている。幼児に帰してくれる。
意識して気分にまかせて、その時々に、今年は何所そこのサクラを見に行こう、とおもうのは、ソメイヨシノの数知れない本数である。何十でも、何百でも、風にわからなく揺れ、その下を行くことが、その時間が贅沢なのである。その下で酔客が多数居ようが居まいが、視界に花びらが横切ろうがなかろうが、皆江戸時代に迷い込んだように、スローに動く。一年の数少ない息抜きのひと時なのであろう。サクラやサクラが、どうぞと招く。訪ね来た旧友とでも、ひとりで歩く。それが許される。
ボートが浮かぶ淵のほとりでもいい。郊外の団地の緩やかなカーブを描く通りの並木にあるベンチでもいい。またボートが浮かぶ池のほとりから対岸の点在でもいい。
八重山の沖縄は、寒緋桜。
山桜は、想い出す人がいる。あれほど見たい桜を見てる自分が、彼や彼女にかわって、居る。不思議な気分だ。平和だとつくづくおもう。このなんともない日を、彼らは死ぬほど、渇望した。そして死んだ。このなんともない日を、おそらく守ろうとして。
ならば決して、桜なんぞに礼など言わぬ。
想い出す人がその対象だもの。桜が、それをわきまえて立っている。