<聖句>にある。読んでいたら、チンピラのままではいないだろう。うっちゃっておけば、自然消滅する。それが、彼らの定めだ。
低俗で、卑劣。それが正体であろう。開き直ろうが、ならば、アジやサバの開きに話掛けた方が、その後それらを食するという楽しみがあるから、まだましである。
低俗なチンピラは、まだ救いがある。若いから、それが可能だろう。でも、若いからといって、チンピラな彼らに付き合う理由もいわれもない、ましてや義務など。
彼らは[聖書]を読んでみようとさえしないのだ。それを読破しようとする野心さえハナからない。読破、が不遜なら、読解でいい。その苦労を避けている。読解できない、その己れの不甲斐無さを知る、のを恐れている。
チンピラな彼らには読解できない。そうするために数年を費やすのを、億劫がっている。
その数年の若さに、こちらはボランティアする理由もいわれもない。
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はっきり言おう。盲目の真似する目明きは嫌だ。
目の不自由な人が、まるでそうでないかのごとく振舞うのを、もう見たから。
ネット・チンピラは嫌だ。低俗で貶めよう、としかしないから。
耳の不自由な人が、まるでそうでないかのごとく手話を操るのを、もう見たから。