昨日、某TVで、北海道のある地で、若いカップルの酪農家が、その生活の番組を視聴した。
凄い「狭き門」だ、とおもった。それをなんともおもわせない、彼らの若い笑顔が、清々しい。頼もしい。
やっぱり、体育会系だよな。それに、一家の主人たる彼は、少年時代からかなりの動物好きだ。
学校でもそれを専攻し、現地で同じ仲間たちと訓練し、その中で頭角を現し、地元先輩と共に更に3年間研鑽を重ねる。
そして、受けた土地、乳牛、搾乳機器、トラクターなど、借金からの出発である。
死産で、その母牛さえ失うという苦難。それらを教訓にやっと、二人して力づくで引っ張り出しての出産。
夜明け前から、日没後まで、繰り返される同じ仕事。牛舎にドリカムのBGMを流して。
どの職種も同様、とはいえ、ここまでする労働は、それを為す彼らに、おもわずエールを送らずにいられない。
そこで、猫の手も借りたい暑い夏、そしてひたすら忍耐の厳冬、生活することの大変さは、自分は想像するだけだが、脱帽。
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アンドレ・ジイドの「狭き門」は読んでよかった、とおもう。
従姉によせる主人公のおもい、それ以上の彼女のおもい。作家の自伝的小説とはいえ、カトリックとか、修道院とか、読む年齢にもよるけれど、彼がもう少し強く出れば、などと感じたし。
しかし、それを小説という形式で表現したのは、彼のタレントだろうし、その努力を支えたのが、たしか年上の従姉ならば、結婚は周囲も反対するだろうし。それを作品に残したのだから、世界の文学全集に載せることが出来たのだから、などと。
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福祉小説ってあるのだろうか。
いや、福祉は、小説ではなかろうに。
モデルがいても、それを題材のひとつにして、それが売れるだろうか。売れなければ、訴えられることもないか。生計は誰にでもある。
公共の福祉、に名を借りて、個人が圧殺されることを、怖れた。
今でも怖れる。
己れの名を冠してまで発表する個人の芸術とは、無名のボランティアで終わる福祉とは、対極に位置するのだろうか。
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主の御名を賛美して、無名のボランティアで終わる福祉を行為して、その先にあるものは。
宗教法人と、社会福祉法人とは違う、という答えは、その答えのひとつに過ぎない、ということだろうな。
ホームレスが、ボランティアなる福祉を無償行為する、よりか、己れの就職先を優先せよ、だろうな。