かいふう

近未来への展望や、如何に。

怪談『欲望という名の電車』。

kaihuuinternet2007-05-26

東京都荒川区の「三ノ輪橋」と新宿区の「早稲田」を結ぶ都電荒川線(約12・2キロ)に26日、大正から昭和初期を意識したレトロ調の新車両がお目見えした。

これに合わせ、三ノ輪橋停留場は木造の屋根が取り付けられたり、昭和30年代の映画ポスターが展示されたりするなど一気に昭和へとタイムスリップした装いとなった。

この日はレトロ車両の試運転が行われ、地元住民や鉄道ファンが詰めかけた。レトロ車両の営業運転は27日から始まり、1日4往復する予定。(読売)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
東京に住んでいた時、ある催しがあって、参加した。起点が隅田川水上バスでの遊覧で、浅草近くで下船し、雷門浅草寺お参り、三ノ輪橋停留場から都電乗車で終点まで。
地元社会福祉協議会がらみだった、とおもう。貸切電車で、車内でゲームもやりながらの日帰り行楽であった。
その時車内で参加者に配られたお土産の、包装を解封してない、縦横10センチ弱、幅数センチの小箱が、現在も埃をかぶってある。
水上バスの屋根のない座席で、自分の隣に、廃園した保育園での障がい者サークルでの女の子が腰掛けた。その日は、その時会った若者の彼の顔は見なかった。もうひとりの女子学生らしきは、付き添い監視役か見かけた。
寺境内から、車椅子を押すグループなどと仲見世通りを歩いた。
都電終点に到着して、そこが現地解散ということで、下車して皆散り散り別れた。
その包装を未だ解封してないのは、それを受け取る対象が、参加障がい者限定、だからではないか、という疑念が意識にあるからだろう。健常者たる自分は、手に受け取ってはいけない、あの付き添い監視役の厳しい視線が残る。しかし、そんなことではなく、ある違和感を感じ取っていたからだろう。
後日、というより後年、その時の女の子を訪ねることになる。
ある日電話をした。もう何年も経ってからのことだ。そのサークルの主メンバーのひとりで、彼の番号を控えていた。近況を聞いて、廃園した保育園での会合で数回会った若者のことも聞いた。死んだ、という。先日皆で告別式も済ませた、という。
狼狽した。よくあるじゃないか、昔観たTVドラマで、電話口で受話器を放して、という。くどく聞いても、電話の相手は、障がい者のひとり、なのである。ボランティアを受ける側の人である。その冷静な返答が、聞く自分の何をしたか、を問うているようでもある。
ボランティアする側の真意と、される側の実益を、彼らは冷静かつ客観的に評価しているんだ、という想いが走った。ウルサイだけの取るに足らぬボランティアも、居る要らないは、彼らの評価だし、それをする力量だ。
地域の某福祉会館に勤める女の子、に会いに行き、外の喫茶店で面と向き合って、ある詞を見せた。怪訝な表情で読んではくれたが、店を出ると、異様な人物に踵を返して、会館まで戻って行った。
可笑しい、というのは本人にはわからないものだ。彼女も、女の子から、大人になったものだ。その若者の代用にならないことを、直観したのだろう。
自分は、途方に暮れた。
後日、夜間、彼女の家の見えるところで佇むこともあった。

あの日路面電車で貰ったお土産の、包装を解封してない小箱が現在も本棚のいちばん上の棚にある。
後日、その小箱を開ける時が来るだろうか。
そのメロディ♪を、別の若者に聴かせることが可能だろうか。
なんだったら、初めて聴いてくれた者に、解封してない小箱をプレゼントしよう。