かいふう

近未来への展望や、如何に。

鑑真和上の立像、唐招提寺に寄贈される。

奈良時代に、失明しながらも6回目の渡航で日本に戒律を伝え、律宗総本山・唐招提寺奈良市)を開いた鑑真和上の立像が19日、古里の中国・揚州市から同寺に贈られた。

4月に来日した中国の温家宝首相が国会演説で、鑑真の日中友好に果たした功績をたたえたのが寄贈のきっかけ。船のへさきに立ち、風を受けて合掌する姿で希望に燃えている様子を表した「鑑真和上立像」は高さ1・65メートル。同寺の国宝・鑑真和上坐(ざ)像(奈良時代)と同様に、粘土像の上に漆塗りの麻布を何枚も重ねて型どり、乾いた後、中の粘土を取り除く技法で制作されている。

同寺の松浦俊海長老は「お像の姿に和上の毅然(きぜん)とした決意を感じた。日中友好にこれからも貢献したい」と話しており、像の公開を今後検討するという。(読売)
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唐招提寺は、先年訪ねた。奥の池の中島にある鑑真和上の墓も見てきた。エンタシスの丸みのある柱も見た。
この寺までの古の道のはじめが、薬師寺であり、東塔の緑が清冽に佇む様は、日毎この塔を見ること叶う僧侶を羨ましいと、おもったほどだ。
すでにクリスチャンである自分には、それは美術史の対象として鑑賞するのだから、という解釈である。
再掲だろうが、唐招提寺拝観後、今来た道の松林だかの上に顔出す東塔の水煙を望んだ時は、眼前で勤しむ農夫婦の畑仕事の風景も入れて、しばし時を忘れる我が身ではあった。
気分は、西行さんか兼好法師、ってとこかな。
その時代のゆっくり歩幅の流れが、癒しになるんでしょうね。
でもなんといっても、その場所へ導いたのは、失明してまでも異国に民衆の救いたる御仏の教えを広めたい、鑑真和上の宗教心。それへの思慕でしょうね。
その懇願されての渡航の伝来の布教の、難儀を重ねての、異国の地での、言わば殉教。
異教徒ではありますが、高僧の威光と遺徳に、頭を垂れて、なんで背信と呼ばれましょうや。