かいふう

近未来への展望や、如何に。

アルツハイマーに係わること。

某TV局で、劇映画「明日の記憶」を観た。中年サラリーマンが、アルツハイマー病に罹って、記憶喪失に陥っていく。
ホラーなのか、スリラーなのか、それは観る個人で判断すればよい。
主演の渡辺謙さん、孤軍奮闘である。彼は製作も兼ねたから、よい監督、共演者が脇を固めてくれれば、おのずと作品の出来も相乗効果がわかりやすい。
主人公に、自分の生活が、似てるんでなくとも、近ければ、感情移入出来なくも、共感部分は探せる。
彼のように、大都会の若者の街の、高層ビルのガラス張りの中庭がある、大企業の管理職ではない。若い時に趣味で知り合った伴侶と、若い娘もいない。部下もいない。
誰かを識別する、記憶が消えていく。人間関係が途切れていく。その原因が、自分側にある。それさえも知覚不可能になる、その恐怖である。欲しない孤独である。いや、孤独になっても、自分だけでは生きていけないだろう、病人としての扱いをされる自由である。
うつ病とは、違う。気分の問題ではない。会話が通じない、それだ。
会社員としての、夫としての、親としての。友人知人としての。話題、情報の使い分けが儘ならぬ、ということだ。無味乾燥な事態だ。
映画も賭けであろうことは、製作者こそ意識する事柄だ。
そして、主演者は、己の演技力への自信と、題材を選んだ時機を確信し、リスクを取った。
画面に出てくるは、演ずる者の顔だけであって、妻の顔も判らぬ夫の駅までの同行の誘いである。
ふたりの吊り橋を渡るロングショットは、監督の領分である。
大滝秀治さん演じる陶芸家の老人の独唱するは、古賀政男作曲「東京ラプソディー」♪、戦中派なんだよ。
主人公が、記憶喪失のマージナルマンであろうが、彼の夜の幻想の産物の再登場であろうが、戦中派を代表して勝手に出てきて謳歌するんだよ。違う時代の代弁者なんだよ。

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アルツハイマーの研究をして、渡米した学者が殺害された事件が、何年も前にあった。その時、同行した、その娘さんも、巻き添いで殺された。
巻き添い、というは、なにも親父さんが研究が業績詐称か何かが原因で、同居する娘まで殺すことはないだろう、というのが自分の見解なのだが、テロは、9.11前からある訳で、あれから、真相がどこまで究明なったか、聞かない。

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明日の記憶」の主演者兼製作者が、この事件を知っていたか、自分は知らない。
また、原作者が、その事件をヒントにしたか、それも自分は知らない。

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その時、その少女を悼んだ詩?を、あるネットの中に間借りで載せてもらったが、現在、そこにはアクセス不可で、開けない。
その詩の中身も忘れた。遺族が、プライバシー侵害で消させた、のかも知れない。それとも、余りに貧弱で消させた、のかも知れない。
その被害者少女の名すら忘れている。犯人が捕まったかも知らないのだから。