フカと、サメと、その判別がつかない。
でも、コメディアンだったタコ八郎さんが、前職がボクサー全日本チャンピォンだった、外海に酔い醒ましに出るほどの腕だった、それは憶えていた。
それに、自分は彼ほどの腕前ではないから、ジョーズに喰われる海には行かない、とイカ一郎は云う。
スルメイカと、ヤリイカと、その判別すら先日のTVでやっとついたばかりだ。
さて、そのCMとは、アフリカがルーツとおぼしきスポーツマンタイプの人が、カウンター越しの若い女子店員に、兄と妹の会話を交わし、ある通信会社の契約サービスのコンテンツを問いただすものだ。
家族だと無料、だと妹が云う。そこまではいい。次だ。
兄が連れる白い犬が、日本語で、妹の父だと言い張る。
その犬はどう見ても日本犬で、不審がる妹に、父親面で日本語で吠えるのである。
宣伝名からして、これ、ブラックユーモアではないよね。
ならば、受け取る自分がもはや頑固爺なのか、こう聞こえもするのだ。
『大和撫子よ。犬を父と認めないと、この無料サービスは使わせないぞ』
これから、夏本番だからね。多少のオドシは、電気代浮かせるクーラー代わりになるかも知れない。その後どうする。
秋以降は。「誤った表象に慣らされると」は、西洋の文豪の言だが、
そのCMは、元締めは東洋だったけ。
その元締めは、よもや、この国の大和撫子たちを犬娘として飼い慣らしたい、のではなかろうな。
頑固爺さんの杞憂、で済めばいいがね。
自分は未だ、「英霊」をおそれている年代、なんだよ。彼らの死を、犬死に風化する、のをおそれる。それに等価する、風潮をも。
よもや60年まえの魂が、というなら、
ならば、生きてる大和撫子を犬娘と扱うか、ごときは、如何なる対処をこれしようか、考えてしまう。
自称クリスチャンならば、その絶対者を畏れる、は当然だろう。
それに、クリスチャンで「英霊」とおぼしき方々をも複数憶えてしまったし。こればかりは、なんともはや。
よって、提供する側のかような無意識を含有するサービスを、当方肯定する訳行かぬ。
ここで、訳が出て来てしまった。異邦人が大和撫子を犬娘と扱う、疑念が頭を過ぎった。自分が老いたのだろうか。
それとも、こちらの幻想と、大和撫子を、彼らの真空に吸い込もうとする空想との、新たな闘いの始まり、なのだろうか。
「幻想交響曲」♪は、たしかベルリオーズだった。BGMに十分使える古典だ。西洋2000年のキリスト教史の中に、位置付けても差し支えないだろう。それは、言葉を換えて言えば、何代にも及ぶクリスチャンの家庭で彼らが聴き、安らぎを分かち、認められた遺産として共有する作品だからであろう。