三笠宮ご夫妻が母、貞明(ていめい)皇后の思い出を語られた「母宮貞明皇后とその時代」(工藤美代子著)が、中央公論新社から10日に出版される。
終戦時に陸軍少佐だった三笠宮さま(91)は戦争の秘話をいろいろと明かし、百合子さま(84)と共に皇后の人柄を率直に語られている。
御前会議でポツダム宣言の受諾が決まった1945年8月14日の夕、三笠宮さまは宮邸に阿南惟幾(あなみ・これちか)陸相の訪問を受け、「陛下が降伏の決意を翻(ひるがえ)し、戦争を継続していただくよう申し上げて」と懇願された。
三笠宮さまはその時のことを「温厚な顔つきや話し方を聞きながら、陸相が侍従武官をしていたことを思い出してね。陛下をかわいいわが子のように思っているのではないかという印象を受けたものでした。要請は受け入れるわけにはいきませんでした」と振り返られている。
阿南陸相が「一死以て大罪を謝し奉る」と書き残して自決したのは数時間後。百合子さまは「なんともお寂しそうな後ろ姿で、こちらまで感傷的になったのを忘れられません」と語り、昭和天皇の元を訪ねようとする三笠宮さまを御附(おつき)武官が止め、玉音盤争奪騒動に巻き込まれずに済んだことを明かされている。
また、三笠宮さまは兄の昭和天皇について「公的には君臣であり、大元帥と一少佐。公私の区別を峻別(しゅんべつ)される方でしたから、結果的には孤独で、寂しかったと推察します」と話されている。
三笠宮さまの終戦秘話などは10日発売の「中央公論」8月号でも紹介されている。(読売)
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子どもの頃、{水潜艦} と潜水艦の呼称が判らなかった。
{水潜艦}と思い込んでも、構わないし、実害がない。周りも、子どもの戯れコトバだと、いずれ、と待ってくれて、注意も指摘もあえてしない。
それが、モノクロTVといえども、戦争映画で、伊号潜水艦帰投せず、などの題名を見て、命懸けで祖国を守る兵隊さんを観るに及んで、潜水艦が正式名称である、と以後{水潜艦}を棄てる。
出演と、演出誰々が同じ名前だと、シットしたりもした。両方のタレントが無いからだ。
大人の分別。
それから判別。勘が働くとか、長年の勘がとか、その業界で通になるとか。職人仕事でとか。白黒はっきりしろとか。オセロは戯曲だけじゃないぞ、ゲームもしたかとか。
しかし、それでも未だ到達不可能な部分、たとえば、教会会長に『若いな』とか言われたりして。
その会長は、若い時分、本土防衛の地方陣地で終戦間際、高射砲だかの指揮棒を振っていたとか。
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でも、やはり、サー・ローレンス・オリヴィエなんです。彼の作品、『嵐が丘』の舞台、どんより荒涼とした風景。英国のシェークスピア俳優が演じてこそ、ブロンテ姉妹も許可したでしょうに。
何より劇映画「オセロ」の演技は、賛辞を惜しみません。「レベッカ」もジョン・フォンティン相手でしょう。そして「空軍大戦略」という反ナチの軍司令官役もよかった。
ジョン・シュレシンジャー監督は確か、「真夜中のカーボーイ」でダスティン・ホフマンを巧く使いましたよね。
ナルシストでなければ、俳優は長く務まりません。これは、どんな名優だろうと、名声と比例して、内に抱える難問でしょう。それを指摘できるのは、限られた人でしょうね。
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先頃文化勲章受賞、この国でシェークスピア作品を数上演されて来た演出家蜷川幸雄さんが、今度三島さんの二つの戯曲を、同時隔日上演される、そうだ。
それらは、『サド侯爵夫人』と『わが友ヒットラー』で、このうち前作品は、以下の欧州の方々も以前演出上演された。
ジャン・ルイ・バローは、仏演劇協会会長かの要職をした、と記憶。彼も主演『天井桟敷の人々』は、当時ナチス占領下の撮影だった。
また、世界的巨匠イングマール・ベルイマンは、軸足はやはり映画でしょう。
そんな二人が、今回のような、出演者たちにそれこそサディスティックな、二作品同時隔日上演など、という発想はしない、だろう。
確かに二作品がセットの本が既刊されているし、それをそのまま手にすれば、すでにお膳立てできてます、って行くのかも。
しかし、視点が違うと、かなりの冒険だ、とおもう。
私のそれは、労務管理だな。途中で空中分解しやしないか。
原作者の意向があった、というなら、『サド侯爵夫人』を男優で演じさせる、その興味深々は、観客として足を運ぼうが無かろうが、動員の材料にはポイントになる。
舞台上のアクターが、トチったりカンだりしたら、それはもうコント。それが過労です、重複セリフの出し入れ違いです、では。
興行の不安が、部外者のカン違い、で済んでほしい。
まぁ、こういうハラハラドキドキも含めて、上演というのでしょうね。
激動の昭和の人の作品を、平成二十歳になった平和の青年たちに。