かいふう

近未来への展望や、如何に。

改憲論議は何処。

どの政党にも、参院選の公約で掲げた広範な政策の実現を通じて目指す国家像、社会像があるはずだ。

それを体現するのが憲法であれば、憲法論戦は、最もスケールの大きな政策論争とも言える。

それなのに、憲法をめぐる論戦が、あまり聞こえてこない。各政党、候補者が目指す国の「かたち」を明示し、競うことは、有権者に対する責任でもある。

戦後レジームからの脱却」を掲げる安倍首相は、かねて「憲法改正参院選の争点にする」と明言していた。公約の冒頭には、2010年の国会での憲法改正案の発議を目指すと明記している。

だが、選挙戦では腰砕けの観がある。厳しい逆風の下で、年金記録漏れ対策の訴えなどに力を注がざるを得ない事情もあるだろう。これでは、安倍首相が目指す国の姿、形が明確に見えてこない。安倍首相も不本意ではないか。

民主党の小沢代表の姿勢も疑問だ。

先の日本記者クラブ主催の党首討論会では、「60年間、憲法はこのまま来たし、今まで来ている」とし、「この参院選憲法問題を掲げて議論する緊急の必要性を認識していない」と言明した。

小沢代表はかつて、自由党党首時代の1999年、憲法改正試案を公表し、こう書いている。

「化石同然の代物(現行憲法)を後生大事に抱えている」「『護憲』の実態は思考停止の馴(な)れ合い感覚だ」「大きな転換期にあって……憲法が様々な不備を抱えたまま放置されていることを改める必要がある」「憲法改正論議こそ時代の閉塞(へいそく)状況を打破する可能性がある」

時代の変化が一層激しさを増している今日、憲法改正の必要性はさらに高まっている。にもかかわらず、憲法論戦を避けるのは、参院での与野党逆転を最優先するという政略的な判断からだろう。

憲法論戦に臨めば、安倍首相と同じ土俵に上ることになり、与党との全面対決の構図がぼやけかねない。選挙後の国会運営で野党が共同行動を取る上で、護憲の立場の社民、共産両党に配慮する必要もある……そんな事情がうかがえる。

だが、憲法論戦とは、変化の時代の指針となる日本の将来像をめぐる論戦だ。政治的な思惑を優先して、脇に置くことがあってはなるまい。

先の国民投票法成立により、秋の臨時国会には憲法審査会が設置される。国民投票法は2010年5月に施行され、憲法改正案の発議が可能となる。

この重要な局面にあって、とりわけ政権政党や、政権を目指す責任政党は、正面から憲法論戦を展開すべきである。(読売・社説)