かいふう

近未来への展望や、如何に。

ある作詞家の死。

kaihuuinternet2007-08-01

昭和の高度成長期を彩る名曲の数々を生み出した作詞家の阿久悠さんが1日、亡くなった。型にとらわれない幅広い作風で、歌謡曲黄金期を支えた希代のヒットメーカーだった。

阿久さんは、2001年にがんが見つかり、腎臓の摘出手術を受けた。その後、闘病生活を続けながら、今年に入ってから、ペギー葉山さんの新曲「神様がくれた愛のみち」を作詞。6月中旬に体調不良で降板するまで、NHKのラジオ番組のパーソナリティーも務めていた。7月上旬から東京都内の病院に入院、数日前に容体が急変した。

悲報が伝わると、多くの音楽関係者から続々と哀悼の意を表するコメントが寄せられ、交友関係の広さや、人望の厚さをうかがわせた。若手歌手があいさつに訪れた時には、「歌をお手紙だと思って一通一通大切に届けてください」と言葉をかけるなど、細やかな心遣いを欠かさない温かみのある人でもあった。

阿久さんは、広告会社勤務中から、テレビやラジオの台本書きのアルバイトを始め、1965年の退社後は放送作家となった。担当した音楽番組に出演していたザ・スパイダースに「モンキー・ダンス」を提供し、作詞家デビューした。

レコード会社の専属作家制度が崩れていく時期だったことを追い風に、フリーの立場で多くの依頼を受けるようになった。尾崎紀世彦さんの「また逢う日まで」、アイドルの岩崎宏美さんから、演歌の都はるみ石川さゆりさんまで、ジャンルにこだわらずに作詞し、ヒット曲を量産した。

「既存の流行歌の本道とは違う道を目指す」をモットーに、型にはまらない作風で知られた。北原ミレイさんの「ざんげの値打ちもない」では、少女が愛した男を刺すという、当時はタブーとされた殺人を描き、作品論まで巻き起こした。

また、山本リンダさんの「どうにもとまらない」では、強く挑発的な女性像が、ペドロ&カプリシャス五番街のマリーへ」では、外国映画の一コマを翻案したかのようなしゃれた状況設定が話題となった。

70年代後半には沢田研二さんの「勝手にしやがれ」やピンク・レディーの「UFO」など大ヒットを連発。77年には作詞したシングルレコードを、1000万枚以上売り上げた。

放送作家の経験を生かし、アイデアマンとしても知られた。71年に始まった人気オーディション番組「スター誕生!」では、その企画段階から携わり、森昌子桜田淳子さんらの合格者を世に送り出した。

手がけた作品は5000曲以上、売り上げは6000万枚を超える。オリコン・チャートでの1位獲得は22曲に上った。(読売)
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阿久悠さんが詞に、かなり洗脳されました。TVで歌う歌手、詞の次名にいつもその名を見て、これも、これも阿久悠さんなの、って驚愕してました。
時流というか、あれだけの数のスター歌手に、次々配れるのが、タレント、プロなんだと。それだけ育てた訳ですから、雲の上の人です。
でも、TVという媒体を熟知していたからでしょう。歌手の、演歌にしてもポップスにしても、振り付けも衣装もメーキャップも、そういうタレントの方々の力量がなければ、引き込まれない訳ですから。
とにかく、テレビっ子たる自分は、多いに彼の幾多の詞に感化されたのでした。ありがとう。いろんな歌を聞かせてくれて。
掲載は、フランス映画、ゴダール監督「勝手にしやがれ」。