かいふう

近未来への展望や、如何に。

横浜市3人刺殺事件、上告審判決、最高裁。

横浜市で2002年、妻の両親と義理の息子の3人を刺殺したとして殺人罪などに問われ、1、2審で死刑判決を受けた同市都筑区、無職古沢友幸被告(42)の上告審判決が15日、最高裁第1小法廷であった。

甲斐中辰夫裁判長は「妻を実家から連れ戻す邪魔になるというだけの理由で、全く落ち度のない3人を殺害した身勝手な犯行で、酌量の余地はない」と述べ、古沢被告の上告を棄却した。古沢被告の死刑が確定する。

1、2審判決によると、古沢被告は02年7月、離婚を望んで実家に戻っていた当時の妻を拉致しようと、妻の実家のマンションに侵入し、居合わせた妻の父親(当時71歳)と母親(同63歳)、妻が前夫との間にもうけた長男(同12歳)の3人をナイフで刺して殺害するなどした。(読売)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
5年前の事件では、このブログでは初記載になる。
死刑、の判断基準を何処に置くか、最高裁判例だとしても、それを、自分に知らしめた最初の事件は、少年連続射殺魔の永山則夫の件である。この事件被害者は4人であって、少年であるがゆえ、長期審理となった。その間、新藤兼人監督で劇映画「裸かの十九歳」も観て、「無知の涙」も書棚にある。
それで、4人で死刑、という主観として、そして判例である。
この事件、被害者1人は少年である。3人でも、殺された側に少年が含まれれば死刑。これも、判例となった、という解釈でいいのだろう。
少年連続射殺魔の生い立ちや境遇は、自分の想像を超えていた。殺害を肯定出来ぬ以上、死刑執行までの長期間、いわゆる宿命や運命の語彙の意味する違いを考えもした。春闘という語彙の意味するを、具体的にイメージさせたのは、その被告である。国税で生活を賄ってもらう生まれなら、左翼になろうはずはないし、左翼的発想すらしないであろう、と。
同時代で、影響を受けたとするなら、机上の空論ではなく、極貧の生まれの少年が犯したが故の犯罪者で、世間が認知した彼も、そのひとりだろう。学問に飢えた少年が獄中で書物を漁る様は、その学習能力の速さも、親のスネかじりの自分には、遠くには感じられなかった。それで、環境で人はどうにでもなるんだ、という側面も軽視できなくなった。苦学生を装う時の自分は、独房で死を待つ死刑囚の彼に、共感を覚えぬは皆無、を公言できぬ。
犯罪者の少年にかくも感情移入できるなら、さぞかし、こちらの被害者の少年にはどうだ、と問われたら、難しい。義理の息子さんで12歳、という情報しか手元にないからである。