かいふう

近未来への展望や、如何に。

まだ恍惚の人じゃないよな。

夕方、ひとりちいさなテレビを視ていたら、違った感覚にとらわれた。正面右上には青空を透して窓ガラスがある。座椅子に、ふるいストーブを前に置いて。
ふわっ、て来た。好きな物をたびたび口に入れ、満腹感が身体をくつろがせ、摂取したカロリーと、それを消化した内臓が、ちょうどいい釣り合いというか、しばしの極楽というか、至福というとなんか精神的に聞こえるから、それとも違うが。
最悪の気分の時もあるんだから、こんな時もなきゃ、とおもうと、その時間が如何に短かろうと、すんなり委ねた方が楽に決まっている。
10分か、15まではいかない。おもわず、祈ろうか、とも。それほど、肩の力が抜けた。いや、肩の力を抜いたから、そうなったのだろう。今にしておもえば、それしか考えられぬ。
こういう、ゆとり感覚も、これからは覚えねばならぬ。延命を旨とするなら。
以前、TV番組かで、スポーツ選手が、マラソン走ってて、ある距離走ると、楽になる時間が訪れる風なこと述べていたが、それだろう。
自分も少年時マラソンを得意としてた時、たかが距離は知れてるが、そんな感覚をわずかに味わった気がする。このままのペースなら、距離気にしないぞ、という高揚した気分が支配する。
オートバイで遠出した時も、もはや愛車と呼ぶ程付き合うと、エンジン音がリズムよく聞こえる速度がわかる。いわゆる巡航速度というんだろう、燃費が最良の状態、継続、って感じ。
もはや、その車も、このガソリン高騰のご時世では。
この日の、いい気持ちも、節目なのかも知れない。
いよいよ、未熟な老年に突入、か。
それとも、このブログの老年期、だけの意味だろうか。