かいふう

近未来への展望や、如何に。

にんじん食して『忍人』になろう。食卓のメンバー.その9

元旦に食べるおせち料理は、正月だな、とほっぺを弾ませながら、噛み締めますね。
煮しめに入ってる中に、橙色の土臭いのを目にすると、レンコンとタケノコの歯応えを確かめ、それからにんじんの味のしみ込んだのを口に運ぶ。
カロチンという強い味方があったのだ。
[黙示録]に4頭の馬が出てくるので、どうしても、にんじんで抵抗力付けとかないと、戦意喪失してしまう、暗示。
昔、少年の頃、モノクロでTVで、フランス劇映画「にんじん」を観た。少年でも、観た、という感覚は、主人公の少年が、どう見ても、そばかす顔に、日本人ではないのである。その髪は黒かったら、その眼だって、そんな映り方はしない。
そして、馬車の助手席で、馬に鞭する大人と会話するシーン。それじゃ、落語映画じゃない。だが、鞭の先端にニンジンはない。
原作がジュール・ルナールの小説だと。「にんじん」という仇名の少年の話。
同じ年代だからか、感情移入してしまった訳だろう。自分も、類する仇名を附けられたりもした記憶があったからか。誰でも、そんな体験、否経験はあるだろう。
どこにでも、うまい仇名を思いつく人はいるものだ。附けられた側が、当たっていると感ずれば、そんなに抵抗感はない。
「にんじん」という少年から、欧州人に対する親近感を抱くきっかけを得たんだろう。劇映画の持つ力である。
ピーマンもたしかフランス語じゃなかったか。英語ではないと、おもっていたが。

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その劇映画に主演した少年が、気掛かりだった。
「わが闘争」というドキュメンタリー映画。パリは占領され、マルセル・カルネ監督、ジャン・ルイ・バロー主演「天井桟敷の人びと」という劇映画もその時代に作られた傑作だ。
同時代、その主演した少年は、どう生き延びたのだろうか。兵隊にとられただろうか。
故国を奪還するために、他の数ある若者たちのように、レジスタンスに参加したのだろうか。

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だから、にんじんを食べると、その主演した少年が、大人になって、どう戦争に向かい合って、その時代を生きたか、それの方が気になったのである。
そして今、にんじんを食べると、この時代を生きるに、どう生きようか、気にする。
正月の煮しめのにんじん食するは、もはやクリスチャンの無意識で、[黙示録]の4頭の馬に、レジスタンスする、用意の儀式なのだろう。

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そばかす顔、といえば、モノクロトーンの制服の義務教育時代、白ブラウスと黒いタイトスカート姿で授業した教育実習生、のひとりは、その顔だった。
後日、その彼女の下宿にその時のクラスメートとグループで押し掛けるのだが、おそらく僕と相性がよかったんだろう、と新聞の「星占い」欄をチラと見る時に、思い出します。
後年、同じ教育実習生になるのは、それが何かのマチガイだったとしても、更に後年、同じ被義務教育者であり、かつ同学年の拉致被害者少女に熱上げた、こちらの方は間違いでは無かったと確信しています。