かいふう

近未来への展望や、如何に。

地震列島、その35。祈りの日。

kaihuuinternet2008-01-17

6434人が犠牲になった阪神大震災の被災地は17日、13回目の鎮魂の朝を迎えた。遺族や被災者は発生時刻の午前5時46分、静かに手を合わせ、亡き人に思いをはせた。被災各市の多くで復興が着実に進むが、昨年3月に能登半島地震、7月には新潟県中越沖地震が起き、新たな犠牲者が出た。記憶の風化を防ぎ、阪神の教訓をいかに語り継ぐか。被災地に立った人々は改めて、その課題を心に刻んだ。神戸市の午前5時の気温は3・4度。小雪交じりのなか、中央区の東遊園地で追悼行事「1・17のつどい」が営まれ、約4500人が参列した。犠牲者の名前が刻まれた「慰霊と復興のモニュメント」前では、多くの遺族が故人をしのび、並べられた竹灯籠(とうろう)に火をともした。
式典では、5歳で父を亡くした市立神港高3年の竹中基治(もとはる)さん(18)が遺族を代表して「これからは支える側に回りたい」と決意を表明。矢田立郎市長は「教訓と経験を他の被災地支援に生かすのが使命」と述べた。区画整理事業がほぼ完了した同市須磨区の千歳公園、震源地に近い兵庫県淡路市の北淡震災記念公園などでも、遺族らが祈りをささげた。午前11時50分からは、復興住宅が立ち並ぶ神戸市中央区の「HAT神戸」で「ひょうご安全の日 1・17のつどい」が行われ、井戸敏三知事が「世界の防災拠点として、各機関と連携しながら災害被害の軽減に貢献していく」とあいさつ。淡路市の新成人2人が誓いの言葉を読み上げた。(2008年1月17日読売)
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被災地にまた鎮魂の朝が巡って来た。阪神大震災から丸13年を迎えた17日、昨年3月の能登半島地震や2004年10月の新潟県中越地震などの被災者らも、神戸市や西宮市で行われた追悼行事などに参加し、復興に向け、絆(きずな)を深め合った。石川県輪島市の「山岸町仮設住宅」の藤本幸雄区長(53)は、神戸市中央区の東遊園地で竹灯籠(とうろう)に火をともした後、発生時刻の午前5時46分に黙とうをささげた。48世帯91人が暮らす同仮設住宅では、神戸大の学生ボランティアが、足湯のサービスをしながら被災者の悩み事などを聞く活動を続けている。藤本さんは「大勢の人の温かい支援で、仮設のみんなが励まされてきた。私たちの生活再建はこれからだが、今日、この場で感じた『災害に負けない』という思いを、能登に持ち帰りたい」と話した。
新潟県中越地震で約60戸の大半が全壊し、女性1人が死亡した同県川口町木沢地区の住民ら約20人は、兵庫県西宮市の被災者復興住宅を訪問、住民ら約40人と交流した。木沢地区では家屋の修復や再建はほぼ終えたが、約20戸が移転するなど、活力を取り戻すことが課題だ。同地区の無職、阿部義夫さん(64)は「西宮の皆さんの笑顔はすごくいい。木沢もいい笑顔の集落を目指したい」と話した。阪神大震災で家屋の下敷きになり、車いす生活を余儀なくされている西宮市の飯干初子さん(61)は「今の生活を受け入れるまで、言い表せない葛藤(かっとう)があったけれど、前向きに生きています。皆さん、頑張りましょう」と呼びかけた。
ボランティア活動で能登半島地震新潟県中越沖地震(昨年7月)の被災地を支援してきた兵庫県立舞子高校(神戸市垂水区)で行われた「1・17震災メモリアル行事」には、石川県立門前高と新潟県立柏崎総合高から生徒2人ずつが参加した。柏崎総合高3年の西巻奈津恵さん(18)と2年山崎聖来(せいら)さん(17)は、神戸のNPOのアドバイスを受け、被災者に必要な食器を集めた。約1か月で段ボール約1000箱分が寄せられたといい、「食器の大半が割れていた被災者にはとても喜ばれた。今後の災害に生かしたい」と話した。(読売)
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去年、自分の{三段跳び}でいうと、「事実」、「真実」と、二段目に来る、としたが、実は、「史実」が最初に来るので、「真実」は最後になる。
TV放送、被災地の某小学校で、朝礼の訓示を聞く女子生徒のひとりが涙を流していたが、当時被災地に紛れ込んで、よもやこんな形で記すとは思わなんだ自分。その少女はその当時、未だ生まれていなかったのである。だから、両親から、または親類から、あるいは祖父母から、その内の誰が被害者になって、誰のお墓参りに行ったか、思い出したのだろう。直接体験が無くとも、ものごころ付いた時から、つらい記憶は留まる。自分には、13年前の旅行復路通行人が、恐ろしい真実の中を歩いて来た経験であるが、それはひと昔を経て、「史実」に送り、『夢死惨死』として被害者数を留める、事実のみである。天変地異を、誰に責任を突きつけるものか。