前日、TV番組で、画家ギュスターヴ・モローのサロメを主題とした「出現」が写し出された。
裸体の少女の示す指先に、空中に浮遊する、斬首されたバプテスマのヨハネの首が、彼女を見ている。
妖艶な踊り手サロメが、欲した願望が、この結末である。
なぜか同日の某紙面にも、オスカー・ワイルドの「サロメ」も、ある女の方が、取り上げていた。
バプテスマのヨハネなくして、後のイエスのゴルゴダの丘への道行と、昇天はないから、[旧約]から来て、外せない洗礼者でしょう。
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[ぼくのちいさなれくいえむ♪]の、「アフリカの星座♪」は、自分の[旧約]だとおもっているので、
すると、次が、どうしても、バプテスマのヨハネを経ないと、イエスまでたどり着かない。
[ぼくのちいさなれくいえむ♪]の、名も知らぬ少女に捧ぐ 、M嬢に捧ぐ、K嬢に捧ぐ 、J嬢に捧ぐ 、サキソフォンなら活けそう、 ポスト「ラバウル小唄」♪だと、等は、対擬似サロメ用防御ソング 、の位置付けなんですよ。
曲数については、バプテスマのヨハネの母が身ごもった月数、としました。
勝手な解釈ですが、これらで、もはや誘惑から、防御可能と信じることに決めたんです。
そのモデルたちが、自分を守ってくれると。彼らに集中することで。
そういう意味では、彼らの力に頼っていると。つまり、彼らの方が、清く美しいと。
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会長に『若い』と言われた、そんな昔を、おもいだした。
若い、とは何だろう。
もはや、若くない自分は、それを知る。
それは、例えば、号泣したことが無い。女々しく暗闇でひとり泣いたことが無い、とか。そんな部屋がないから、他人にばれてしまう、とか。
そういう時、では、そんな部屋をください、とか祈るより、女々しく泣くことを知られないように、と祈るほうが容易いよな。
たとえ女々しくひと晩泣いても、翌日また起き上がる方が、生きていけるよな。
『眼にゴミが入りました』は詠み人知らずの名セリフだけれど。
そんなんじゃ、号泣できんもんな。
他人が号泣するのを、見て、あんな泣き方決してしないもんな。
とかおもって、愛する人を失って、泣かないなら、誰も愛したことが無かったんだって事にもなるしな。
突然失って、狼狽して、茫然自失して、泣くんだろう。誰だって。
女々しく泣くことを、神の愚かさの部屋の中に置いて、祈ったっていいんですよね。
いつもそれだけじゃ、困るけれど。
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昔々、ある国の軍隊で、消灯ラッパが吹く。
『新兵さんはかわいそうだね。また寝て泣くのかよ』♪
これを思い出す限り、つながってる、と自負しよう。
若くはないが、老いたとは言わない、クリスチャンの新兵として。敬礼。