かいふう

近未来への展望や、如何に。

それ、デモエピ?山桜と、蝉のミイラ。

kaihuuinternet2008-04-04

先月末、公園を歩くと、剪定された山桜を見た。なぜか、枝のあちこちが伐られ、風が吹いたのだろう、先年までの花振りは影もなく裸で、ものさびしそうだった。散った地べたの花弁が幾つか付いてるのを、手に取り、持ち帰った。
胃腸薬の錠剤入りの空き瓶の、その蓋を逆さにして、水道水を満たして、窓際に置く。
翌日見ると、咲いた花々とひとつの蕾、どれも萎れていた。それらの元の茎の先は、風に外されただけだったので、草色の茎弁が、水を透さない。
それですぐ、爪で茎を斜めに切った。
何時ぞや拾ったピンクのカーネーションを思い出した。それから、また水を満たしてある蓋に寝かせたのであるが、気が治まらない。
水道水は、残留塩素だ。
それで、台所のペットボトルに残っていた、ミネラルウォーターに換えた。
これでいいだろう。
少しして、拾ったピンクのカーネーションに対しては、黒蜜かを足したのに、幾つかついた山桜には、水だけなのか、とまだ萎れている花々の方を見やって、もうひとつの判断も加えることにした。
以前買ったブルガリアヨーグルトの蓋の中に隠れて付いていた、顆粒の白いグラニュー糖。それの残りを見つけ出し、蓋のミネラルウォーターに溶かした。
更に翌日、窓際に置いたその蓋の山桜の花々は、蘇っていた。見事に、まるで樹木から展ばした枝先で居るかのごとく、咲いている。
花弁に隠れていた蕾も、その間から顔を覗かせ、若い薄紅を縁に咲いた。
それに動かされて、蓋を持って、開き戸のガラスに差し込む光が残るカーペットの上、それを置いた。
その次の日、夜間の窓際から、晴れた日差しの、洗濯物を干す外の、クーラー室外機の上。三大要素は、えぇと、水と養分、そして太陽光だったっけな。
本日も、クーラー室外機の上、に置いた。夕方、回収しようと手にすると、わずかの水は干上がり、茎は干乾びて、すでに遅し。皆、ミイラのごとくであった。
そういえば、その窓際の隅に、蝉のミイラも置いていた。
空蝉の、翌年に見つけて、飾ったものだ。今度のは、正真正銘の、中身のある、蝉のミイラだ。
山桜は、そう咲いて、近くのソメイヨシノの花吹雪で散る、ではなし。
しっかり数日、我が家で咲き続け、死んだ。散ったんじゃない。
いち度はあきらめた、その蕾も花咲いた。それを咲かせるために、その隣の花々も咲き続けた。
すごいな、生命力。
羽化すれば透明な羽だったろう、小さな蝉のミイラも飾り置こう。今年の夏まで。
その判断を下すのは、この自分だ。この意識が、存在証明さ。