1993年、カンボジアで国連ボランティア活動中に殺害された中田厚仁さん(当時25歳)の父で、国連ボランティア名誉大使の中田武仁さん(70)(神戸市西区)が厚仁さんの命日の8日、引退する。
息子の遺志を継ぎ、25か国以上でボランティアの支援に取り組んできた15年間。武仁さんは「できることはすべてやった。厚仁もきっと『ごくろうさん』と言ってくれるでしょう」と話している。
選挙監視員の研修を終え、プノンペンからコンポントム州に向かう中田厚仁さん(1992年9月、中田武仁さん提供)
厚仁さんは93年4月、カンボジア・コンポントム州で選挙監視員として活動中、何者かに銃撃されて死亡した。事件後、武仁さんは「二度と息子のような犠牲を出してはいけない」と決意、商社を退社し、大阪市内に事務所を設けて1人で国連ボランティアを支援する活動を始めた。同年6月には、国連ボランティア計画(UNV)から名誉大使に任命された。
大使の活動では、アフリカのソマリアやモザンビークなど紛争国を訪問。現地の状況をUNVに報告し、ボランティアらの安全を確保するため奔走した。紛争国では危険を感じたこともあったが、懸命に活動する青年たちを見ると、「僕はボランティアの中にいる」という厚仁さんの声が聞こえ、「勇気がわいた」という。
95年の阪神大震災では、当時住んでいた大阪府東大阪市から被災地に駆けつけた。この時、全国から駆けつけた若いボランティアたちは「厚仁さんのことを思い出し、いてもたってもいられなかった」と打ち明けた。「厚仁の思いは、着実に受け継がれている」と、胸が熱くなったという。
平和の大切さを説いた国内外での講演は3500回を超え、2001年にはカンボジア政府から勲章を受けた。
8日は、東京で開かれるUNVの式典に出席し、活動を締めくくる。「命のある限り、ボランティアは続けたい」。前を見すえて、そう語った。(2008年4月2日読売)
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[記憶ある人びと]ある殉職、でも載せたが、中田厚仁さんを思い出す時は、アジアの平和も考えたい。
若い人たちに、彼の記憶が留まりますように。